無料の昼飯はない

 ごほん。ええ、ではしばらくおつきあいをいただきます。大西であります。今回のテーマとして、まず、みなさまにひとこと言わせていただきたいことは「無料の昼飯などない」ということであります。「There ain't no such thing as a free lunch」ですか、タンスターフルとつづめて言われますこの格言は、無料のモノなどないということ、サービスにはそれに見あった対価がかならず支払われていること、一見無料のように見えるものでも長い目で見れば代金を取り立てられるものであるということを述べております。ひとことで申しまして、やはりみなさま、世間とはそういうものなのであります。

 はい、そうですね。そうは言いましても世の中に無料で提供されているものはけっこうありまして、考えてみますとだいたいがこのページもそうだから困ったものであります。もちろんまずもってこれは、無料で提供できるくらいのものしか提供できていないではないかということでありまして、その通りなのではありますが、ええ、私のページのことはさておき、みなさまにおかれましては、これは無料である、と主張するナニモノかに出会われましたら、立ち止まって、しばし考えてみられることをお勧めいたします。誰がこの対価を支払っているのだろうか、とであります。といいますのは、時にはとんでもないところから取り立てが来るものであるからであります。

 たとえば先だって、わたくし、このページをご覧になりました、ある中学生の方からメールをいただきました。メールと言いますか、アンケートでありまして、授業で使うのであるから以下の質問に答えよ、というものであります。授業で使う情報をインターネットで気軽に収集というのはどういうものでありましょうか。おもに、アンケートを集める側がたいへん楽である、というなんだかジェラシックな視点で歓迎はできないと思うわけですが、まずもって相手は中学生であります。これが企業だったり大学生がレポートをでっち上げるためだったりするとちょっとムっとするわけですが、中学生に怒るわけにもゆきません。

 ところが、さらによく見ましたらば、これがフリーメールから送られてきているわけです。ご存知ですかフリーメール。誰でも簡単にアドレスが取れて、無料で使えるメールアドレス、というものであります。しかもこの場合は、何ということでありましょうか。送り出したメールに広告の一文が混ぜられることをもって、その広告を受け手が読んでくれることを期待して広告主が費用を負担してくれることをもって、無料であるタイプのフリーメールなのであります。ああ、タンスターフルの神よご照覧あれ。受け手はアンケートを依頼される上に広告まで読まされてしまうのでありました。相手は中学生、と何度も自分に言い聞かせながら、アンケートに答えてちゃんと送り返したわたくしを、みなさま褒めていただきたい。

 送り返した上ではありますが、それにしても、と思うのであります。無料ウェブスペースなどというサイトには、ページを見に行くと広告を見せられてしまうモノがあります。これはまあ、わたくしがそのサイトを見たいと思って参るわけですから、しかたがない。民間放送のコマーシャルと同じであります。こういう場合、放送局は番組作りをする代わりに広告を見てもらう。視聴者は番組をタダで見られる代わりに広告を見る。実にバランスが取れております。ところが、このフリーメールの「昼飯」はかの中学生にとっては完全に無料ですが、私のほうには支払いはあっていっさい昼飯はないのであります。みなさま、こういう世の中のあり方はどこか間違っているのではありますまいか。

 ええ、ここで、話は横道に逸れてしまいます。先日、わたくし不覚にも熱を出してしまっておりました。といっても七度八分ほどでありますから、日ごろぐうたら暮らしております身には、これがどうということはないのであります。なにしろ体力の限界にチャレンジして何事かをなしているわけではありませんから、三八度ぽっちの体温など、ちょっと暑いな今日は、と思うくらいで普通に暮らしてしまえてしまう。凄いことです。わたくしは、これこそ「バカはカゼひかない」ということわざの真実ではなかろうかと思っているわけですが。

 かてて加えて日曜日であります。熱がなくともそうしていることが多いわけでありますが、わたくしは、もっけの幸い、部屋で寝ころんでおりました。ええ、そうすると、窓の外からなにやら放送が聞こえて参ります。「高円寺放送」であります。街角に据付けられたスピーカーから、放送が聞こえてくるのであります。街頭放送は和光市にもありましたが、こちらのものはどうも民間の、営利団体が行っているようであります。

 わたくしは、思ったのであります。普通のラジオ放送局は、広告を聴取者に聞いてもらう代わりに、番組作りを行っております。楽しいトークやら音楽やらスターマンの星占いやらを放送しております。その合間に広告を聞いてもらっているわけです。ところがこの「高円寺放送」、そういう番組に相当するものはいっさいありません。ひたすら広告を繰り返し放送しているようであります。これがラジオならそんな局には誰もダイアルを合わせない、というだけのことだろうと思うわけですが、なにしろ相手は街角のスピーカーから流される放送でありまして、耳を塞ぐほかこれを聞かないで済ますことはできません。ちなみに、スピーカーは電柱の上の高いところにあるので、ちょっと容易には手出しできない感じであります。ええ、ここは笑うところであります。

 ごほん。みなさま、わたくしは、ここで声を大にして訴えたい。これはあまりにも安易な、無料の昼飯ではないでしょうか。高円寺放送を聞かされてしまう人々は、放送局のほうから何らかの報いを受けるべきであるのに、そうではないのであります。フリーメールに付いてきた広告と同じで、送り手は何の痛痒も受けていないのであります。こんなことが、許されていいのでありましょうか。

 と、義憤など感じながら一日中聞いておりましたわけです。広告にはあまりバリエーションがなく、もう数年はこのままであったろうなあ、という風情なのでありますが、マージャン店、消費者金融、不動産店、宝石店の四つを繰り返しくりかえし流しているようであります。しかし、打ち明けて言いますが、それよりもなによりも一番多かったのが「高円寺放送」自体の、広告主募集の放送でありました。どうやら広告を流そうという人が高円寺放送のオフィスで列をなして群がる、というわけには、なかなか参らないようであります。

 おそらくはあまり儲かってはいないのでありましょう。やはり放送局にとっても、無料の昼飯はないようであります。しかし、わたくしは思うのであります。つまりこの場合、誰も昼飯にありついた者はいないのではないか、と。

 みなさま、世間には「無料の昼飯」は確かにありません。しかし「有料の昼飯なし」はあふれているようであります。けだし、住みにくい世の中であると申せましょう。


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