日本語における左と右

 先年、数日間ではあるが、入院をした。朝起きてみると、血便とともに、激しい腹痛に見舞われたのだ。便が真っ赤になったということは、何らかの傷が大腸に生じているということに他ならず、運び込まれた病院で、検査の結果次第では二週間程度、という入院期間を宣告されてしまった。

 痛み自体は、病院にたどり着く寸前に味わったものが一番ひどく、病院についたころには「ヒトヤマ越えた」というしかない小康状態になっていたのだが、後から考えるに、このヒトヤマはどうやら最後のヒトヤマであった。あとはさほどの痛みもなく、存外呑気に入院生活を送れたのは、不幸中の幸いであったかもしれない。

 とはいっても、腸に傷があるとなると等閑視はできない。とにかくどこのどんな傷なのか、検査が必要である。この検査には「腸カメラ」というものを使う。胃カメラは口から飲むファイバースコープであるが、腸カメラは肛門から入れるファイバースコープである。内側から体を見てやろうという装置であって、どちらも既に経験があったりする私なのだが、今思い出すだに心の底になにか赤黒いどろどろしたものがしたたり落ちるくらい辛く悲しい思い出になっている。要するに苦しい。

 そもそも胃カメラはいつ何時も辛いものであるが、この入院の時の腸カメラはそれ以上に辛かった。おそらくファイバーの先が、私の大腸の内側、患部に接触するとそうなるのだろう、と思うのだが、入院直前に味わって、それきり遠ざかっていた「体の内側に一寸法師がいて畳針の剣で私の腸を突き刺して遊んでいる」系統の痛みが、腸カメラを奥に送るべく突き込まれるたびに、恐ろしい強さでよみがえってきたのである。これは痛い。目の中に入れても痛い。

 私があまりに痛がるので、不憫に思った医療技師というのか、腸カメラを操る先生が痛み止めの全身麻酔を注射してくれたのだが、おおアルプスの山々よ、これが全く効き目なく、撮影が終わるまで私はひたすら脂汗を流して耐え抜くことになった。あるはずの「傷」を探して、ファイバースコープがいったり来たりするたびに、激痛に悶えていたわけである。あれだけ痛いと、諸君、「先生大変です死兆星が見えます」などとギャグをかます余裕はないのだ。

 さて、結局腸に目立つ傷は見つからず、私は解放され、病室に戻っていいことになった。ここで、効かなかったとはいえ全身麻酔をかけたために、勝手に歩いて帰ってはいけないのだそうである。麻酔のため、途中で動けなくなったり、頭をその辺にぶつけては困る、ということなのだろう。

 この苦行の間中、私の意識ははっきりしていて、照明が眩しかったり頭がぼうっとしたりというような麻酔の症状も何も現れては来なかったのだが、それでも人によってはこの間の記憶がなくなったりもするくらいで、危ないのだそうだ。今こうして思い出して文章を書けているということは、私に関して言うとその程度に意識はしっかりしていたということになるのだと思うが、腸カメラの台から起き上がって座り直す時に、ぐらり、と頭がふらついたのは確かである。

 ではどうするのか。車イスを用意してもらい、それに乗って病室に向かうのである。実は一度乗ってみたかったところでもあり、看護婦さんが押してくれる車イスで病室に向かうのは、不快な経験ではない。痛みから解放された直後でもあり、私はかなり上機嫌であった。

 半笑いの私を載せた車イスは、一路病室に向かった。ここで、道中、病室に向かうエレベーターを待っているわずかな間、私は、壁におかしな掲示があるのに気付いた。何が書いてあるのか、個々の文字は読めるのだが、全体として意味が通じない。麻酔がいよいよ効いてきたのだろうか。

 私は気がついた。「そうか。これは戦前の、右から左に書くやり方で書いてあるのだな。お年よりも多いから、そうなっているに違いない」。これで納得して、しかし何か引っ掛かるものが残っていた私は、ずいぶん後になって麻酔から覚めてから、改めてこの掲示だけを読みに来たのだが、掲示はこうであった。

透析・通所リハ
精神科デイケア

 なんのことはない。ちゃんと左から右へ書いてある。「通所」というのがちょっとわからないが、要するに通院してのリハビリテーション。それと「透析」、最後は精神科のデイケアサービスということだろう。確かに麻酔は効いていたに違いない。ただし「右から書き」だ、と勘違いした原因も、なんとなくわかるような気もする。

 ところで、私の腸は、本当に傷がなく、だからして四日ほどで、めでたや、退院することができたのだが、それではあの血はどこから出たのかが気にかかるところである。あれこれ思い返してみるに、真相は、腹痛の前の日、大量に飲み干したトマトジュースがそのまま「出力」され、勘違いした私が仰天した、ということではないかと思う。腹痛は本当にひどかったので何もなかったということはあり得ないが、少なくとも「血便」の正体はそれではないだろうか。

 と、おそるおそる打ち明けた私に、笑って医者のこたえることには、トマトジュースが消化もされずに出てくることは考えられないそうである。しかしまずもって、飲んだトマトジュースはビリヤード場が出すヘンテコなトマトジュースなのである。元は「ワタナベのジュースの元」みたいな着色料のカタマリであっても不思議はない。

 今回の教訓として、これからビリヤード場ではトマトジュースは飲まないことにしようと思う。着色料は体に良くないからである。


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