斜路をゆく

 私の通っていた中学校は、小高い丘の中腹にあった。平地面積が少ないくせに細長く、人口がむやみと広く散らばった不便なこの町の、せめてだいたい中央に建築しようと考えたらここに決まったとのことで、丘というよりも山の一部を削ってむりやり広場をこしらえた、という代物だ。無理な工事がたたったのか、学校の裏山がしょっちゅう山崩れを起こして、対策に難儀したらしい。

 そんな中学校だから、朝、町のほうぼうから通学してくる中学生は、その最後の最後でちょっとした難関に当たることになっていた。かなり急な斜面が地上レベルと学校のある中腹とを繋いで作られていて、そこをどうしても登らなければならなかったのである。ほとんどの生徒が自転車で通学していたので、どうあれこの二百メートルほどの斜面を、自転車を押して登り降りせねばならないのだった。

 この斜路については厳格な校則が定められていて、決して自転車に乗ったまま登り降りしてはいけない、ということになっていた。我々の数代前の先輩が一人、この道を自転車で下っていてブレーキワイヤが切れ、制御できなくなってぶつかって、亡くなったのだったか、大怪我をしたのだったか、そういった話が言い伝えられていて、この斜面は危ないので全員自転車を押して通るべし、ということになっていたのである。

 もちろん、中学生というものはいつだって、自分だけはべつだ、と思い込んでいるもので、誰もいないときにそっと自転車に乗り、軽快にこの斜面を下ってゆく者もあったに違いない。しかしまあ、一応はこれは、非常に危険な行為なのであるという認識で一致していたと思うし、だいいち誰かに見つかると罰として一週間、自転車通学を禁じられてしまうのだった。町が細長いので、人によってはおよそ何の罰にもならなかったり辛い罰になったり、事によると事実上通学不可能になってしまったりするのだが、とにかくそう決まっていた。

 この校則については面白い話があって、あるとき、全校生徒を集めた生徒総会というものが開かれたときに、生徒の一人からこういう質問がでた。
「校則で、あの斜路を自転車で降りてはいけない、というのは分かります。危ないですから。でも、登ってはいけないというのはどうしてでしょう」
 生徒会役員が五人、オブザーバーの先生とごそごそと話しあったあとで、三年生の生徒会長が演壇に立ち、こう答弁した。
「登るときに、途中で力尽きると自転車がふらつきます。そのときちょうど後ろから先生などの車が通りかかると非常に危険です。であるからして自転車に乗って登るのも禁止です」
「しかし、私はあれくらいの坂、自転車に乗ったままヨユウで登れるのです。ふらつきません。であればいいのではないですか」
 生徒会長は、答えた。
「そういうひとばかりではないので、ダメです」
 数年後「自転車通学時のヘルメット着用を義務ではなくする決議」というのを通しておきながら先生に握りつぶされたような生徒会であるから、まあ、こんなものだったろう。

 ずいぶん後になって一度だけ、まだ中学生の弟に何かを届けに来た、もはや中学生ではない私は、なにしろもう徒歩通学を命じられることはあり得なかったから、自転車に乗ったまま、上から下まで走り降りたことがある。思ったよりは、気持ち良くなかった。

 さて、時代は下って場所も移るが私は残る。私が毎日乗り降りしている駅の駅前に、地下駐輪場がある。駅前広場の地面の下に広い空間が穿たれていて、そこを月極めの有料駐輪場としてあるのだ。驚くべきは、無料の地上駐輪場が近くにあるのに、わざわざ月二千二百円払ってまで地下に停める人が多いことだが、私もその一人なのであまり大きなことは言えない。少なくとも、雨が降っても地下駐輪場なら停めてある自転車は濡れない。

 この自転車置き場に出入りするにあたって、さすがは有料、ゆるいスロープに付属してベルトコンベア状の装置が備え付けてある。狭い帯が回転していて、これに自転車を乗せると楽に地上まで自転車を運べるという仕組みである。人間のほうにはそんな仕掛けはなく、ベルトの上をゆっくりと登ってゆく自転車にくっついて、階段を歩いて登ることになるから、見た目ほど安閑なものではないが、これでも押して登ることに比べたらずいぶんましに違いない。

 見た目ほど楽ではない原因は、実はもう一つある。このコンベアの上に自転車を載せただけでは、当然ながら自転車は進まない。ブレーキを握って、タイヤが回らないようにしなければならないのである。ブレーキを握るのに力がいる、というのもあるが、この、タイヤが回っていないということが、自転車を取り回す上で、けっこうな違和感を起こすのだ。

「ジャイロ効果」というのだが、高速で回転するタイヤのような物体は、その回転の向きを変えにくい性質を持っている。自転車を普通に走らせていると、倒れようと思ってもなかなか倒れられないのに、止まっている自転車の上でバランスを保つのはたいへん難しい。これは、回っているコマがなかなか倒れないように、回転しているタイヤが自転車を倒そうとする力に抵抗するからだ。自転車でもバイクでも、走りながらハンドルを急に回すのではなく、体を倒して体重を移動させてカーブを曲がるのだが、これもジャイロの持つ性質を利用している。

 ところが、このベルトコンベアの上の自転車は、タイヤが回っていない。自転車を押す程度のスピードでも、回るタイヤはジャイロ効果を発揮するもので、それがないと自転車は単なる錘と化してしまう。普段なら手を離しても倒れないような自転車の重みを、ちゃんと支えてやらなければならないのだ。これが、違和感の原因になるのだと思う。

 では、自転車をベルトの上で押すと、どうなるだろう。このベルトコンベアであるが、世の中のエスカレーターや動く歩道がそうであるように、普通に人が歩くよりやや遅く作ってある(当然、若者ほどは早くは歩けない子供やお年よりの利用を想定して調整されているのだろう)。イラチな性格を発揮して、エスカレーターの上を走って登り降りしたいところなのだが、ブレーキを離し、動いているベルトの上を自転車を押して進むとすると、これは斜面の上を普通に押し登るのと比べて楽なのだろうか。どうだろう。

 整理しよう。まず、ベルトの上、立ち止まったままブレーキを離すと、どうか。軸に摩擦がなければ、自転車のタイヤが逆方向に回転するだけで、自転車の重さは全て自分で支えてやらなければ、自転車は後ずさりをはじめてしまう。これは、単に斜面に自転車がある場合と同様である(※)。この状態で止まっているにせよ、押して登るにせよ、タイヤから上の自転車本体だけを考えていれば、ベルトの上にあろうが、斜面の上にあろうが、まったく関係ないことになる。ベルトの上の自転車は、ブレーキをちゃんとかけていないと、自転車の速度がベルトより速いにせよ、遅いにせよ、はたまた両者の速度が一致しているにせよ、ベルトコンベアの意味はまったくない、ということになるわけである。動く歩道の上を歩くようには、いかないものだ。

 というわけで、釈然としない思いを抱きつつも、ベルトのゆっくりとした動きに合わせて、自転車を支えつつ、地上に登ってゆく毎日である。もし誰も見ていなければ、ベルトの上に足を置いて楽をしたり、自転車に乗ったままベルトに乗って、あぶなっかしくバランスを取ることで、さらに楽をしたい、と思わないではないのだが、それも校則違反であるし、監視のテレビカメラは据付けてあるしで、果たせずにいる。いつかこの地を去るその日に、やってみるかもしれない。


※正確には、回転しているタイヤにはエネルギーが蓄えられているから微妙に違う。斜面に沿って糸巻きを(摩擦ゼロで)滑らせるのと、斜面に沿って糸巻きを転がり落とすの、どちらが早く下まで降りるかというと、前者である。糸巻きを回転させなければならない分、後の方が加速に時間がかかるのだ。しかしこの場合、自転車の重量の主の部分はタイヤよりも上にあるので、無視してもさほどの差はないと思う。
トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧へ][△次を読む