ひとひらの雪

 目を覚ますと、一時間十分寝過ごしていた。反射的にベッドの中、右隣に手を伸ばすが、いつもと違って、そこにあったのは冷たいシーツの触感だけ。私は「腫れぼったくなってるんだろうな」と思いながら寝過ぎた目を軽くこすって、同居人の名前を呼んだ。返事はない。代わりにサイドテーブルの上にメモを見つけた。ウニのようにも見えるイガの絵が書いてあって、隣に一言。
「クリーメリスマス・静子」
 私は、顔をしかめた。どうもあの人は、普通のことを普通にする、ということができない。

 私はベッドから起き上がって軽くのびをすると、ぽん、と机の横までひと飛びに飛んで、古くさい携帯情報端末を取り上げ、スイッチを入れた。イスに腰掛けるやいなや、どこに隠れていたのか、もう一匹の同居動物、猫のセレンが飛んできて、私の膝に飛び乗る。私は、右手でセレンの頭を軽くなでてやりながら、左手一本でちょっと苦労してメールをチェックする。新着は五通。四通は古い友人からのクリスマスのお祝いで、一通はなんでもない宣伝のメール。内容を見る前に、ワークスの同僚に遅れるむね連絡を入れてから、ふらっとベッドに戻って寝転がる。そうだ、クリスマスなんだから、遅れたって構わないじゃないか。その独り言にいらだたしげに抗議の声をあげたのは、膝から追い落とされたセレンだけだった。

 厚いガラスのはまった窓の外では、朝のささやかな日差しが、大地をうす赤く照らしているはずである。風、ひたすらに風。乾いた不毛の土地、母なる地球から遥か二億五千万キロメートルも離れたこの赤い星、火星のマリネリス峡谷は今日もまた、この星が過去三億年そうであったように、風と砂と岩との永遠のせめぎ合いを繰り広げている。

 そう、クリスマスだ。私と幹夫が、第二七次試験植民として火星にやってきて以来、今回で八度目のクリスマスを火星で迎えた。もちろん、赤い惑星の小さな植民基地にも、ちゃんとクリスマスはやって来る。火星の一年は約687地球日で、火星の一日はざっと25時間なので、カレンダーをどう作るかはなかなか難しい問題だ。火星独自の暦を作ることにすると、記念日や誕生日の意味がなくなってしまうし、月の基地がそうであるように、地方時を無視して地球に完全に時計を合わせてやってゆくというのも、これはこれで不便である(太陽の登り沈みと時計が同期しなくなるから)。

 そこで、私たちの実験植民地では、結局、火星の一年と一日を基本とした暦を使いながら、お正月やクリスマス、ラマダンや花祭りや天皇誕生日は地球の暦で扱う、ということになっていた。長い火星年や、95週もある火星週(月はない。火星には二つの月があるからだろうか)、ちょっとだけ長い火星日を使って日々を送りながら、地球でクリスマスが始まると、その日がクリスマスなのである。こうなってみると、サーフィンをしたり海水浴をしたりするオーストラリアのサンタクロースの気持ちもなんとなくわかるところだ。火星のサンタクロースは、酸素マスクと電熱服を着ているに違いない。

 私は、そんなことを考えながら、寝坊した時間にもう二〇分ほどのフレックス時間をベッドの中で費やしてから、さすがに観念して、起き上がった。待ちかねるように黒い瞳でこちらを見上げているセレンに餌をやると、調理器にパンを一切れ入れてスイッチを入れる。顔を洗って簡単に身支度をしながら、ふと、最近はめったになかったことだが、貯蔵器に貼られたプリントアウトに目を留めた。

 思えば、いろいろなことがあった。カメラを向けられるとつい「茶目っ気」を出してしまう(と本人が言っている)幹夫と、私のプリント。地球でやった結婚式のときのもので、背景の教会は、東京のある結婚式場に付属した施設のものだった(無宗教に「音楽堂」などと呼ばれていたが)。どの顔も若い。幹夫のおどけた顔も、周りの友人達も、そして私も。なんだかとても遥かな昔で、写っている人々も、火星に来て以来、会えなくなった人が多すぎる。あの頃は、自分が火星植民に参加し、火星を耕す農民になるなんて、思ってもみなかったが。

 トーストをくわえておいて、ハンガーの電熱服を着込む。今日は服のバッテリーパックが、やけに重い。火星ではなにもかもが三分の一の重量になるため、体重の減少分を考えると全くどうということはない重さのはずだが、低重力トレーニングを止めてしまってからずいぶんになるし、それに、私も歳をとった。下半身の電熱服を固定するとき、結局作らなかった自分の子どものことについて(まだわからない?そうかもしれない)また考えはじめて、あわてて頭を振る。なんだか今日は昔のことばかり考えてしまう。今日がクリスマスだからだろうか。私はトーストの最後の一口と一緒に、回想を断ち切ろうとした。

 電熱服と酸素マスクは、宇宙服とはかなり違う。火星の大気圧は零ではないので、月面服や軌道作業服と違って、完全な与圧を行う必要はないのだ。呼吸はマスクに頼らなければならないが、これも外気に呼吸可能な分圧だけの酸素を混ぜる、簡単なものでいい。あとは防寒のために、電熱線が入った厚手の服。これで外に出られてしまう。いや、これだけで十分面倒なのだが。

 本当に、マスクと電熱服がいらなくなるのはいつの日のことだろう。現在、二万二千人ほどが暮らしているこの赤茶けた星には、地球の三割ほどの大気しかない。人類は、もともと地球の1パーセント以下だった火星の大気を五〇年かけてここまでに増やしてきたのだが、いまだに外の大気は人間が呼吸できるようなものになっていないのだ。温室効果で気温を上昇させ、極冠の氷を溶かす二酸化炭素、やがてこの惑星を小規模な水の星と変えるはずのこの気体を多量に含んだ大気は、じりじりと増加してはいるはずだが、急激すぎる環境の変化はどういう災害を引き起こすか知れないので、伸び率は技術的限界よりもかなり低い。気象学者によれば、火星の地球化テラフォーミングには欲を言えば一万年くらいの時間が欲しい、という。ばかげた、本当にばかげた話。

 電熱服をすっかり着込んでしまった私は、セレンに水を一杯与えると、エアロックに入った。仔猫のころ、一度間違えて減圧されかかってから、この灰色猫は決してエアロックに近づこうとしない(与圧ケージに入れて、無理やり入れたりしないかぎりは)。いつもの手順で、扉を閉鎖して、エアロックの空気を外の大気とゆっくり繋げる。火星の、つんと鼻を突くような、どこか砂っぽい臭いが、半分開いているマスクから流れ込んできて、耳がぽこんと鳴る。オールグリーン。すべていつも通り。そして、エアロックの外扉を開けた瞬間。

 雪だった。辺り一面の雪が降っていた。その非現実的な光景に、私はエアロックの外で一人、完全に虚を突かれて、ひたすら呆然としていた。強い風に吹かれていっときもその場に留まっていないような、粉のような雪が舞って、いつもの赤茶けた光景を真っ白に染めている。簡単に舗装された道路に、奇怪な形をした遺伝子組み換え低木の並木に、隣のスラワジさんの家に、私と幹夫の、ドーム型の密閉式住宅にも、雪が降り積もる。人影の絶えた朝の火星に、雪。

 ホワイトクリスマス。

 そんな単語が頭をよぎって、その言葉のあまりの場違いさ、気恥ずかしさに血が上る。そうだ、そういえば、幹夫がずっと以前にそんなことを言っていたような気がする。幹夫の勤める研究所で、マイクロマシン触媒を使って降水量を制御して、低緯度地帯にも自由に雪を降らせるようにする実験が進んでいる、と。では、あれは成功したのだ。そして、わざわざクリスマスに合わせるように、今日、このマリネリス峡谷で、実用試験を開始したに違いない。

 まったく。まったく、見下げるべきロマンチシズムだ。火星にはキリスト教徒しかいないわけじゃないのに。クリスマスを選ぶなんて。科学的にも間違っている。「その日」をクリスマスに決めてしまうことで、他のいろいろな条件を犠牲にしなければならないからだ。降雪にベストな条件を逃して、エネルギーを浪費できるほど、私たち火星植民地は裕福ではあるまいに。全くばかげた行い。

 そうだ。私は、そう必死で考えて、流れ出そうとする涙を押さえようとしているのだった。なにしろ、涙を流したら、拭けもしないのだ、この電熱服というやつは。ワークスの若い同僚達に、何と言っていいわけすればいいのだろうか。普段、クールで通っているこの私が。私は、前もって教えてくれなかった幹夫に悪態をつきながら、雪空を見上げる。涙がこぼれないように。

 雪はひたすらに降る。そして、狭い我が家を振り返ってみれば、火星で生まれた本当の火星猫セレンは、そんなことも知らぬげに、エアロックからの冷たい風にちょっと不快げに身じろぎをしながらも、再び眠りにつくのだった。


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