インとヤン

yinyang 「陰陽マーク」というものが、ある。韓国の国旗の中央にあるような、二色に塗り分けられた円形で、韓国旗の赤青のかわりに白黒に塗り、かつ、白のエリアに小さな黒い丸を、逆に黒のエリアに白い小さな丸を描いたものが、スタンダードなデザインとしてよく見る。と、言葉で説明するよりも、あなたが右の画像が見える環境でご覧になっているのであれば、見ていただいたほうが早いだろう(現に見ていただいていることと思う)。私の聞いた話では、このトモエの部分で陰と陽が転じてお互いから生じる様子を表すとともに、相互のエリアにある小さい丸が「陰の中にも陽があり、また陽の中にも陰がある」ということを示しているのだそうである。これを見ていると「キョンシー」という単語をなぜだか思い出してしまう人があるかもしれないが、私もそうなので抱きあって背中をぱしぱしと叩きあいたい。してみるとキョンシー使いというのは「陰陽師」なのだろうか。

 キョンシーさておき、この「陰の中にも陽がある」という考え方は、これをはじめて聞いたときには、ほへえ、としか思わなかったものだが、この齢になって、結構な含蓄を持った真実だったのだなあ、と思うことが多い。一つには、昔読んだ本で筒井康隆氏だったか誰かが書いていたことでもあるが「人をよく知るとその人を憎めなくなる」ということである。現実の生活でも、ネット上のつきあいでも、こんな邪悪な人がいるものか、もう怒ったぞフグ戴天、私の敵とするしかないような人だ、と思っても、よく背景を調べてみると、なんだか相手の気持ちを理解してしまったりして、怒りが持続できない。

 考えてみると、邪悪なことをしよう、他人に意地悪なことばかりしよう、と思っていても、普通、人間はそんなことはできるものではない。たいていの場合、その人にはなにか別にもっと大切な守るべきものがあり、そのために少し(と本人は思っているところの)友情か、信義か、職業的倫理か、なにかそういったものを犠牲にしているだけなのである。汚職をした政治家であろうと犯罪を犯した警察官であろうと、消費者を騙して地味に儲けをむさぼっていた食品会社であろうと、個々の人を見、その事情をよく知ると、どこか「理解できた」と思う瞬間がある。自分でもそうしてしまうかもしれない、あるいは自分が過去の一点でなにか間違った教育を受けていたら、それが正しいと信じて(あるいは、悪いと思いながらも)やってしまうかもしれない、そう分かってしまうのである。そうなると、もう相手を許すしかない。

 善悪の話をするとちょっと重くなるが、もっとずっと軽く、その人が言っていることが面白いかどうか、その人がイカしているかどうか、という判断も、その人をよく知るにつれて、つい甘くなってしまうものである。これは知人だから批判が手ぬるくなるのも確かだが、どんな人も、たまにはものすごく時宜を得た、すばらしく興味深い言葉を述べたり、面白い文章を書いたりする瞬間があり、それを目撃してしまったから、ということがあるかもしれない。そうなると、もうその人は「いつもはツマランのだが侮れないヤツ」「どこか憎めないヤツ」ということになってしまって、もう無視することはできなくなる。そう、陰の中にも陽があって、それは単なる陽よりもずっと強く輝いているのだ。

 この前「病院の思索」というタイトルで、病院で精算を待つ苦痛について書いたことがあるが、その待合室で会った親子(数学の話をしていたほうではなく、話のマクラで使ったほう)に、私はその後も同じ病院の待合室で、しばしば出会うことになった。通院周期が同期しているのか、私に関係なく相手は毎日のように通っているのか、よくわからないがとにかくよく出会う。親子は親二人、男の子と妹、という構成で見かけるのだが、家族四人集まると、やはりどうしても会話が始まってしまい、ちょっとうるさくなるのはどうしようもない。なにも病院に一家で来ることはないのじゃないか、と密やかな怒りを保ちながらも、ゲームをしたりばたばたとうるさいこの家族を、私は苦々しい気持ちで(しかし注意するほどではないので黙って)、見ていた。

 小学三年生くらいだろうか、「ジュラシックパーク」の冒頭で、主人公に「恐竜をナメとったらバクっといかれるでえ」と脅されていたような感じの、と表現して分かるひとは少ないと思うが、要するに、あんまり可愛くなく太ったその少年が、コーヒー牛乳の紙パックを片手に待合室のソファから立ち上がって、落ちつかなげにうろうろしている。私は、うるさいなあ、しまいにはワシがバクっといってまうぞコラ、などと思いながら、手元の本から、なんとなく目を上げる。
「ねえね、注射と点滴と、どっちを選ぶぅ」
 聞けば少年は、母親達に向かってこんなことを言っているのであった。おかしなことを言うものである。点滴と注射、そもそも好きなほうを選ぶなんてできない。ソファに座って、女性週刊誌など読んでいるやはり太った母親は、特に返事を返さなかったようだが、それはまあしょうがないかもしれない。ボケにくくて答えにくい質問である。
「オレは」
 少年は、意に介した風もなく、ひとりうなずくと、母親と妹らしい少女に向かって、こう言った。
「あえて、点滴を選ぶゼっ」
 あえて、点滴。不快な気分はどこへやら、なんだかもう、笑ってしまったのであった。苦労しているんだな。頑張れ、少年。


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