五〇人に一人

 会話を、多くは決まり切った定型の会話をしていて、急に脱線して他のことを告げられると、どうしてもそこで一回、聞き返すという動作をしてしまうものである。みんなそうなのかどうかわからないが、少なくとも私はそうだ。意味がわからないわけではない。聞き取れなかったわけでもなくて、大抵はほどなく、もう一度聞くまでもなく意味がわかる。ああ、聞き返して悪かったな、と思うのだが、どうもこの癖を止められない。会話のリズムというものがあって、それが崩れると不安になるのかもしれない。

「は」
とそのとき私が聞き返したのは、だからして相手の言ったことが聞き取れなかったからではないし、意味がわからなかったからでもない。今聞いた相手の台詞が、幾々円お預かりしますお釣りはかれこれ円です、という決まり切った会話の途中に、普通は入ってこない言葉だったからだ。あ、そうかわかった聞き返す意味なかったな、とすぐ後悔した私に気が付いたかどうか、店員の女性は、ほほ笑みを崩さず、繰り返した。
「当たりました。代金無料になります」
「そうですか。ありがとう」
 いや、またこれは。

 はじめて「レシートに当たりが出たら無料」「五〇人に一人当たる」という宣伝を見たときは、おそるべき出血大サービスだ、と思ったものである。なにしろ無料ということは、商品をタダで持っていかれるのであり、もしも百万円もするプラズマハイビジョンテレビかなにかを持っていかれてしまったらどうするのか可哀想じゃないか、という店の経営への心配が先に立つ。もっとも客としては、なにそれは凄い急いで行かなくては、と思うかというとそんなことはないのだが(なにしろ五〇人に一人というのは高い確率とは言えない)、電器店は過当競争の末、ついにこのような大損をするキャンペーンに踏みきった、と思ってしまうのである。

 しかしそんなはずはない。よく考えてみれば明らかだが、五〇人に一人を無料にするということは、平均して、店側の売り上げは二パーセントしか減らないはずである。当たり前の話、一万円ずつ百人の客が買い物をしに来て、そのうち二人の客を無料にしたとすると、しかし百万円の売り上げが九八万円に減るだけで、特にそれ以上損をする理由はない。全品二パーセント引きと同じ割引率で客が増えるのであれば、こんなに嬉しいことはない。店は実にうまいことを考えたものだ、と思う。

 もちろん「当たり」が出たかどうか判断するのは店側なので、高額の買い物のときは当籤を無効化するようなズルを、店がしていても客である我々にはわからない。「無料になるのは最大何万円まで」というキャップを設ける手もあるが、しかしまずは、そんなズルをするまでもないのだろう。現実の買い物では高額の買い物をする客もいるわけだが、なにしろ客の数は多い。客であるこちらは電器屋で買い物をするのは多くて数ヶ月に一回くらいのことだが、店の方は一店舗あたり一日数百人の客をさばいている。結局は大数の法則に従い、損得は均されて売り上げの二パーセントが減るだけ、ということになるはずである。

 ただ、繰り返すが、私に関して言えば、上のような考え方に気が付く以前の問題として、当たりが出れば無料、というタイプのキャンペーンにはあまり魅力を感じなかったような気がする。理由をよくよく考えると、どうもこれは「ラッキーな少数の当選者の分、我々『当たらなかった人たち』が多く払わされているんだ」と、感じてしまうからかもしれない。「当たった自分」ではなくまず「当たらなかった自分」を想定して考えはじめてしまうところになにか負け犬根性というか、人生の成功者にはなれないタイプの性向や幸運に恵まれなかった来し方が見え隠れするような気もするが、まあそれはいいじゃないかお互い深く追及しても辛いだけである。

 で、ところがどっこいしょ、今回それが「当たり」である。
「それでは、こちらに住所と電話番号とお名前をお書きください」
と、店員がこちらにレシート状の用紙と、ゴルフのスコアを書くような筆記用具(あれは何というのか、プラスチックの棒の先に鉛筆の芯だけがついたアレ)を出してきた。私は、後ろで並んでいる他の客の冷たい視線に凍りつきそうになりながら、できるだけぞんざいに、できれば店側があとでレシートを見直しても判読不可能であればいいと思って、しかしそこまでアウトローになり切れないので読めるくらいにはちゃんと、書いた。名前と、住所と、電話番号。

「正直言って、当たっても全然嬉しくありません」
「は」
と、書き終わって用紙を返した私に向かって店員が聞き返したのは、おそらく私と同じ理由ではなかったろう。ボタン電池とマウスパッド一枚、本当にそれだけ、額にすると四五〇円が、驚愕の無料キャンペーンに当籤してみて、私はいいようのない悲しみに襲われていた。こんなことなら、どうしてそろそろ買い置き尽きそうな単三電池や欲しかったUSBフラッシュメモリー、買おうと本気で考えはじめたミニコンポやビデオデッキつきテレビを、買わなかったのだろう。すぐ要るものではなし今度買おう、なんて思ってしまったのだろう。せめてこの一五〇円のやつではなくあっちの「マウスの玉っころクリーニング機能つきマウスパッド」九四〇円にしなかったのか。なぜマウスパッドに千円も使えるか、なんて言ってしまったのだろう。だいたい、四五〇円という今回の「得」は本当に今書いた私の個人情報より価値があるのか。しかし当たり前だが、精算やり直しはきかない。もう取り返しがつかないのである。

「ありがとうございました」
という明るい声に見送られ、私は悄然として店をあとにした。たったひとつ慰めがあるとすれば、それは「この種のキャンペーンにはあまり魅力を感じない」とした自分の直感が、少なくとも間違ってはないなかった、という点だろうか。少なくとも、この店がこのキャンペーンを続ける限り、もう二度とは行かなそうな気がする。これもあれも無料で買えたのに、と考えながら買い物をするなんて、おそろしく辛いことではないか。


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