閉まる扉とつらさ保存の法則

 たとえば、テレビを一緒に見ていたあなたのパートナーが、ふとトイレに立つ。季節は真冬であり、部屋は暖かに暖房されているが、廊下はぐっと温度が低い。テレビコマーシャルをぼうっと見ながら、なんとなく「やっぱ牛乳でしょ」等とつぶやいていたあなたが、突然背筋にぞくと寒気を感じる。振り返ったあなたが見たものは、部屋のドアが開けっ放しになって、そこから外の寒い空気がどんどん流れ込んで来ているところだ。

 いや、ちょっと待った。その固めた拳をゆっくりと解こう。必ずしもあなたのパートナーが悪いわけではない。人間とはそもそもそういうものなのだ。「かつて人間が暮らしていた樹上にはドアがなかった」という理由から、と、前にも書いたことがあるような気がするが、人間はいまだに進化的にドアに適応してはいないのである。

 では、この「ドア閉めない遺伝子」をもったパートナーを、どおれ遺伝子プールから取り除いてやろうかなどと考えるのはあなたの勝手だが、そうするとあなたの遺伝子も後世に伝わらない可能性が高くなるので具合が良くないし、それを言っちゃあおしまいだという気もするがドアごときで喧嘩をするというのも外聞が悪い。ここはコタツの布団を首まで引っ張りあげて、もう少しだけ我慢だ。たぶん、トイレから帰ってきたあとは、不思議とドアを閉めてくれるはずである。

 このように、個人のモラルと遺伝子の絆に期待するビジネスモデルは、この厳しくも悲しい現代社会においてはうまく機能しない。しかし、そこは幸い科学の力、このトラブルの種はちょっとしたからくりさえあれば回避することができる。自動ドアや回転ドア、ドアのところにバネが仕込んであって自分で閉まるドア等があるが、これらは根本のところで「ドア閉めない遺伝子」の持ち主がいるいないにかかわらず、中の人が寒さを感じない工夫である。

 たとえば、以前お世話になっていた病院では、入り口のところに巨大な回転ドアがあった。回転ドアがどういうものか、知らない人はいないと思うが、ためしに文章で説明してみよう。建物の入り口のところに円筒形のガラスを置く。建物の側と外側にそれぞれ四分の一円周ぶんの切り欠きを作る。円筒形の中心に四枚羽の水車式の、軽く回転するドアを作る。こうしておけば、人の出入りに伴ってドアがどんな角度になっても、内外の空気が直接触れあうことはない。

 病院にあった、その回転ドアもつまりそういう構造なのだが、おそらく車いすなどの出入りを考慮したのだろう、とにかく大きいのだった。回転するドアの直径が八メートルくらいあって、手ではとても押せないので電動で一方向にゆっくり回転している。利用者は、ドアの作る密閉空間の中、ドアの回転に合わせて歩幅を小さくちょこちょこと歩いて通らねばならない。もしジョギングしていたらその場で足踏みをするところである。これだけ大きいと、空気の出入りもある程度あるし、人の出入りを気にせずにずっと回転しているようなので、必ずしも中の人は快適ではないのではないかと思うが、建物の入り口によくある「自動ドア二枚式」と比べればまだこのほうがよいのかもしれない。

 以上は余談であった。ここで注目したいのは、自動ドアが電力を使っているように、ドアを常に閉めておくためには誰かが辛い目に遭わねばならず、これを私は「つらさ保存の法則」と名付けることにするが、とにかく、なんらかの犠牲なしに暖かい室内は作れないということである。自動ドアの場合は「ドアの開け閉めに使われる電力」が、その他のドアの場合にも「寒さに耐えかねてドアを閉めにゆく人」や「回転ドアに挟まって痛さにうめく利用者」が辛さを負担している。では、バネ式ドアの場合は誰がつらさを担っているのかというと、開ける人だ。バネ式のドアは一般にバネのぶん重いのである。

 私の家の玄関の扉にも、扉の上のほうにバネ式の関節がくっついていて、放っておいても閉めてくれるのだが、これもやや重くて荷物を持っているときなどは厄介である。外開きなので、家から出かけるときよりも帰ってくるときのほうが、こちらのほうが大荷物を持っていることが多いのだが、引いて開けることになるので、より厄介度が高い。そのへんを解決するためか、公共施設などでは「両開きのバネ式扉」がよく見られる。押しても引いても開けられる扉で、手を離すとバネの力で中央に戻る。

 この「両開きバネ扉」で、いつも悩ましいのは「引いて開けるか押して開けるか」という問題である。いや、一人で荷物を抱えて通りがかったような場合は選択肢は一つしかない。手か、手が塞がっていれば肩か背中でちょっと失礼してぐいと押し開ければいいのである。問題は、前に人がいて、その人のすぐ後に扉を通る場合だ。押さえていてくれればそれはそれで何の問題もないが、自分が大荷物なんて抱えていない場合にはそこまで人の善意に頼るわけにはいかない。

 前の人は、たぶん扉を押して通るだろう。そちらのほうが自然だ。前の人が通った後のドアは、あなたに向かってゆっくりと閉まりはじめている。さあ、どうしようか。こちらに向かってくるドアを迎え撃つ形でぐっと押し返すか。ドアの勢いに逆らわず取っ手に手をかけて引いて通るか。バネが軽い場合はどちらでも大差ないが、ときにはバネが固くて、うんと力を入れないと開かないドアがある。そういうとき、どちらが楽だろうと考えてしまう。

 これは(「つらさ」ではなくて)エネルギー保存の問題である。スケートボードの競技場のように、両側が高くなった斜面があって、そこに重い球が置いてある。ミッションとしては球をどちらかのてっぺんに押し上げなければならないが、それは片方の端Aと反対側のBどちらでもよい。斜面の底Cに球があることが扉の閉まっている状態に、AかBに押し上げることが、扉を押したり引いたりして開けることに相当するわけである。

 今、球がAからこちらに向かって転がってきている。押し返すのが得か、引っ張るのが得か。これが高校の物理の問題であれば、正解はあきらか、放っておいて球がCを通り過ぎ、Bに向かうまで待てばよい。エネルギーは保存するのだから当たり前である。しかし、この厳しくも悲しい現代社会には摩擦というものがあり、そうはいかないのだ。放っておくと、球はBに届かず、へなへなとCに戻ってしまうのである。

 つまり、だから悩ましい。バネが重い場合は、一般に速度のついている手前側に引っ張るほうが得ではないかと思うのだが、摩擦成分があるため、この直感は必ずしも正しくない。多数のバネ式両開きドアを観察した結果では、どうもCのあたり、ドアの中正位置に極端に摩擦の強い部分があって、ドアの速度を殺し、指をつめる事故を防ぐしくみになっているようだ。すぐれた仕組みだとは思うが、このため、ドアを手前に引っ張ろうとするとCのあたりで重くなって速度が死んでしまい、あまり得した気にならない。かといって押すのは普通に中央に静止しているドアを押すよりも重いので「せっかくあれだけ開いているのに」と、これはこれで損した気になる。実際にどちらが楽かは、ドアの現在の開き角度やバネの強さ、中央の「摩擦強化部」の幅と強さ等で千差万別、一概には言えないようである。放っておいてドアが真ん中に戻るまで待ち、それから押すのが一番いい場合だってあるかもしれない。

 思うのだ。これもまた「つらさ保存の法則」ではないか。前の人がつらい思いをして開けたドアを、自分が楽して通ろうと思うほうが間違っていて、自分もまた、つらさを分担するシステムになっているのである。もちろん、私が、前の人に思わずドアを押さえさせてしまうような魅力的な人間であればそうでもないのだろうが、そういえば、リビングのドアもそういう仕組みでもって、保存した「つらさ」の分担先が決まっているような気がする。自分が開けたドアを閉めるかどうかは、部屋に残してゆく人々への、愛、だと思うのだ。と、これくらい書いておけば今晩から暖かい思いをできるかも等と思うあなたにも、もう二月も半分、春はすぐそこまで。


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