転置無用

 突然だが「首都大学東京」である。来春、東京の都立大学四校が合併してこういう名前になる。なんというべきか、母校がこんな名前になってしまった方々の気持ちは想像にあまるものがあるけれども、ここで、私としては、あえて言おう。これで怒ったりあきれたりするのは凡夫のすることではないか。真に我々が考えるべきは「次どうするか」ではないか。

 なぜなのか、調べたらわかると思うのだが知らないまま調子のいいことを書くことにするが、この学校名は変だ。「首都」は「東京」なのでそもそも片方は余計だが、まあよい。それよりも、倒置されていることに注目したい。モノが「首都」でも「東京」でもなく「大学」なので、これは本来「東京首都大学」ないし「首都東京大学」とすべきところ、ひっくりかえして置いてある。あんまり他人がしないことをしようとしているのは確かなのである。

 これを許すとする。慈父の笑みをうかべつつ許すとすると「ジャッキー大西」は「大西ジャッキー」になり「大西科学」は「科学大西」になるのだが、やはり真骨頂は三語からなる固有名詞であろう。たとえば、今ここに「日本放送協会」という団体があったと仮定するが、この名前がどうなるかというと、すなわち「日本協会放送」である。ここはぜひ口の中でもごもごと発音していただきたいのだが、もとの順序より、日本を代表するような、大きく出たような感じがより強くはないか。あるいは「放送協会日本」である。「ネッスル日本」とかそういう名前を思い出す。

 どんどん行こう。国際空港関西であり、厚生会館年金である。福岡ホークスダイエーであり週刊ジャンプ少年である。あるいは、厚生大臣労働でありスカイTVパーフェクトである。ヌッツオ健ジョンであり千と神隠し千尋のである。はたまた、現金で満タンをレギュラーでありドラドライーペーホンイツロンでありマツサンバケンである。さらには、三菱銀行東京であり江戸博物館東京でありディズニーランド東京である。だんだん東京に収束してきたが、他意はない。

 というわけで、これからはどんどん倒置してゆきたい。…と適当なまとめを入れつつ「駒大苫小牧」のことを思い出して慄然としている私である。あっ、もしかして要するにコレなんですか「首都大学東京」って。


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