アイシャの心

 アップルコンピュータ社が最近発売した新製品「iPod shuffle」は、ランダム再生を基礎的な動作モードとして採用している携帯用音楽プレイヤーである。特に深い理由もなく以下これをアイシャと略すことにするが、このシャ内メモリは、どこかでマイナーチェンジして増えるに違いないとして、とりあえず当初、本稿執筆時は512MBないし1GBで販売されている。

 どうやら私の感覚は、結婚前のある時点で止まっているらしく、メモリが「ギガバイト」という単位で測られること自体、なにかありえないことのような気がする。0.5ギガバイト、1ギガバイトという容量はメモリではなく、ハードディスクかなにかだろうという感覚が、いつまでも残っているのだ。しかし、その大容量(今となればそうではないわけだが)をもってしても、本来のiPod的な、ライブラリ一切合財を持ち運ぶという使い方をするには不足する量でしかない。アイシャの容量120曲/240曲というのはアップルの見積もりだが、アルバムにするとせいぜい20枚分ということになるわけで、私のごくささやかなライブラリも、さすがに全部は入りきらない。

 そこでアップルはアイシャに「新しい使い方」を提案してそのへんを何とかすることにした。つまり「ランダム再生」である。アイシャをパソコンに繋ぐと、ライブラリからシャ内に、ランダムに音楽がコピーされる。もちろん好きなアルバムだけコピー、という使い方もできるらしいのだが、そのあたりのコントロールは液晶画面のないアイシャではむつかしいので、基本的には精神にのっとり、ランダムにあれこれ聞くという使い方をするものである、としている。

 記事を読んで、そんなんで大丈夫か、と思った私である。なんとなく「火力兵力の劣勢は兵の精強さと必勝の精神で補う」とか「糧食は敵に求めるので補給は不要」に似た香りがする。そもそも、長い間アップルの製品を使っていると、どちらかというと「アップル凄い、アップル最高」という方向よりは「アップル大丈夫か、そんな大胆なことをしてみんなついてきてくれるのか」と心配することのみ多くなる、ような気がする。アップルがどうなろうと私には関係ないのだし、心配する筋合いのものではないのだが、なんとなくいつもはらはらしながら見る習慣ができるのだ。

 といって、今までアップルが過去すべてにおいて間違っていたかというと、もちろんそんなことはない。むしろ、無難な製品を無難に仕上げるというよりは「ちょっとダメだったこと」「かなりダメだったこと」の間に飛び石のようにして存在する「ものすごく正しかったこと」のおかげで今日までやってきている会社だという気がするので、今回ももしかしたらそういうことなのかもしれない。

 くだんのアイシャ精神が正しいのか、市場に受け入れられるものなのか、私にわからない理由の一つは「ランダム再生モードなど使ったことがない」に尽きる。ランダム再生機能は、どんなCDプレイヤーでも、付けておかねばそんなのまるでレコードじゃないですかー、とばかりに存在するもののようだが、正直、使いたいと思ったことはないし、意味があるかどうかも深く考えたことはなかった。だいいち、CDを作った人の意図を崩してまで曲順を変えるのは申し訳ないような気もするではないか。

 ただ、一枚のCDの中をランダムにうろうろするのではなく「持っている曲すべての中からランダム再生する」ということであれば、もしかしたらそれなりに使いでがあるのかもしれない。持っているアルバムの数が多くなると、それをすべて短時間に聴くということは、当たり前だができない。それに最も近いのは、ランダムに選ばれた曲をあれこれ聴く、という方式なのかも。しかも音楽は八時間ぶん聞くためには八時間かかるので、アイシャをそこそこの頻度でパソコンに接続できさえすれば、これは「持っている曲すべてからランダム再生」に等しくなるのである。…のかなあ、本当かなあ、と思っているのであった。

 ところでこのランダム再生という機能、正しく「ランダム」なのであろうか。

 少し考えれば当然のことだが、次に何の曲がくるのかわからない、という純粋な意味での「ランダム」ではないはずである。たとえばライブラリ内に三百曲入っていたとする。曲順が完全にランダムとして、というのは、次にかかる曲が今までかかった曲とはまったくかかわりなく、いちいちサイコロを振るようにしてランダムに選ばれるとするわけだが、この場合どうなるか。

 この「ランダム」再生下では、ある曲がかかって、次にまた同じ曲がかかる確率は1/300と小さい。当然の話である。しかし、よく知られているように、これではなんだか同じ曲ばっかり聴いているような感じになる確率は、実は高い。簡単な確率計算でこのあたりは求められるが、結論を書けばこのようになる。

・ある曲を聴いたあと、10曲以内に同じ曲が来る確率は、3%。
・ある曲を聴いたあと、20曲以内に同じ曲が来る確率は、6%。
・ある曲を聴いたあと、50曲以内に同じ曲が来る確率は、15%。
 特に問題ない確率のようだが、ここで、
・ある連続する10曲を取り出したときに、同じ曲が二つ入っている確率は、14%。
・ある連続する20曲を取り出したときに、同じ曲が二つ入っている確率は、48%。

なんのことはない「1クラスに同じ誕生日の人が一組以上いる確率は」という、有名な問題と同じものである。自分と同じ誕生日の人にはなかなか出会わないが、同じ誕生日の組を見つける確率はかなり高い。

 これは直感に反するし、たまらない、という感じがする。もちろん、直感に反するからといって、「ランダム」というものが事実としてこういうものなのでしかたがないわけだが、要するにこれはつまり「本当にランダムな曲順は、ちっともランダムに聴こえない」と、こういうことではないかと思う。

 だから、たぶんCDのランダム再生も、アイシャに転送される曲も「順番がランダム」というものに過ぎないはずである。それこそトランプをシャッフルするように、全曲の順番だけをバラバラにしてリストを作り、あとはそれを頭から演奏してゆく。一通り、すべての曲を演奏するまでは、次に同じ曲を聴くことはないというわけである。

 ところで、このような「順番リストがランダム」という方法だと、プレイヤー内になにか記憶装置が必要になる。サイコロには記憶はいらないが、こっちのランダムは、12曲なら12曲分、300曲なら300曲分のリストを作ったら、そのことを少なくとも一通り演奏が終わるまでは覚えておかなければならないのだ。イメージ的に、CDプレイヤーのような機械装置はもっと刹那的な「今」を生きている道具に思えるので、そのような内部記憶があるとは、ちょっと不思議なことに思える。

 もっとも、百曲くらいのプレイリストを管理するために必要なメモリがどれだけかというと、考えてみれば百ビットである。最初に全曲分のシャッフルしたリストを作るのではなく、「今回は既に演奏した」というチェック表だけを管理して、次に演奏する曲はランダムに、ただしまだチェックのついていない曲から選ぶようにすればよい。チェック表全部にチェックが入ったらクリアして最初からやりなおしになる。これなら必要なメモリは一曲につき1ビットである。プレイヤー内部にこれくらいのメモリがあるというのはおかしなことではなく、考えてみればCDプレイヤーとはデジタル信号をアナログに変換する演算装置なので、たかだか百ビット程度のメモリを搭載していなかったらそっちのほうが変である。

 で、アイシャはというと、仮にどーんと百万曲の音楽ライブラリを持っている人がいたとして、この人がアイシャにランダム転送する場合、そしてランダム転送が一通り終わるまでは同じ曲が入らないようにするために、必要なメモリは百万ビットということになる。ものすごく多いようだが、百万ビットということは約十万バイト、百キロバイトなのである。メモリが1ギガバイトなどと言っている時代に、百キロバイトはその一万分の一とかそういう話に過ぎない。

 それが不可能に思えるというのは、やはりどこかで感覚が止まっているとしかいいようがなく、数十ビットくらいの記憶力もないなんて、そんなのまるでレコードじゃないですかー、とばかにされたって仕方がないと思うのである。確かに。アイシャとレコードでは、ずいぶん違う。色とか。


※これを書いたあとに、実はアイシャを一本買って使っている。現実にはパソコン→アイシャの転送は完全なランダム(前回の転送内容にかかわりなく今回の転送が行われる)のようです。つまり、120曲なら120曲の中に、前回と重複する曲はけっこうあります。ちっ、買いかぶりだったかっ。
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