ゆうぐれに竜で

 夕方、学校からの帰り道、僕たちは頭の上をひくく飛んでゆく竜を見つけた。すぐ近くで竜を見たうれしさで、はしゃぎまわるみんなを見て、どうしようかまよったけれども、かれが知り合いだということを、僕はけっきょくは言わずにおいた。早瀬さんは、僕の友だちではなくて、お父さんの友だちだったからだ。

 早瀬さんは、竜だ。もう何百年も生きているのだが、竜としてはまだ若いほうらしい。僕のおばあちゃんも、物心つく前からの知り合いだと言っている。そのおばあちゃんが若い頃まで、うちは「つくりざかや」をやっていたのだが、うちでつくっていたお酒と、それから僕のひいおじいさんのことが気に入って、早瀬さんはうちにあそびにくるようになったらしい。ひいおじいさんはもちろんずっと前になくなってしまったけれど、早瀬さんは今でも何年かに一度、こうして遠い山から下りてきては、お父さんをたずねてくる。

 早瀬さんが来ると、お父さんはうれしそうだ。夜中までいっしょにお酒をのんで、いろいろ昔の話をする。体長三メートルあまり、つばさを広げるとはば一五メートルにもなる竜の早瀬さんが、体をちいさく折りたたんで、おうせつ間でちまちまとお酒をのんでいるのは、たしかにすこしゆかいなことだと思う。でも、耳までさけた大きな口や、するどいかぎづめ、小刀のようなうろこを見ると、そんな気もちもどこかに行ってしまう。お父さんは、竜の友だちがいるなんてすごいことだぞ、とよく言っているが、どことなくおせっきょうくさいところもふくめて、僕は早瀬さんのことが、どうも苦手なのだった。

 そんなことをぼうっと考えながら、友だちとわかれて、のこりの帰り道を急いでいた僕は、とつぜん目の前が暗くなって、立ち止まった。角を曲がったところで、つばさをいっぱいに広げた竜が、目の前にまいおりたのだ。
「早瀬さん」
 ふわりと道路に足をつけた早瀬さんは、ばさっ、と大きな音をたててつばさをたたむと、まずこう言った。
「こんにちは、健太くん」
「あっ、こんにちは」
 少し、しかるような、早瀬さんの大きな声に、僕はあわててあいさつをする。
「どうしたんですか、お父さん、家にいなかったの」
「そうなんだ。実は、たいへんなんだよ、健太くん。おちついて聞いてくれ」
 早瀬さんは、大きな顔を僕に近づけると、話しはじめた。一時間ほどまえ、お父さんが交通事故にあって、病院にはこびこまれた。けがは、つまるところ、たいしてひどくはなかったのだけれども、お母さんもおばあちゃんも病院で、今家にはだれもいない。早瀬さんは、それでむかえにきてくれたのだった。
「病院にのせていってあげよう。ほら」
 早瀬さんは、背中の荷物を下ろした。竜のサイズのリュックサックには、毛布と、マフラーと、お父さんのゴーグルが入っていた。
「君のお母さんからあずかってきたものだ」
 お父さんの事故よりもなによりも、竜にのる、ということにおどろいて、僕は口もきけなかった。僕はまずマフラーを首に巻いて、服の上から毛布を巻きつけると、黒いゴーグルをとって、おそるおそる目に当ててみた。ゴーグルのひもはお父さんの頭に合わせてあって、ゆるい。と、ぎゅ、とひもが引っ張られて、僕の目にゴーグルがぴたりと吸い付いた。振り返ると、早瀬さんが、その大きなかぎづめで、ひもを引っ張ってくれたのだった。

 僕がお礼を言う前に、早瀬さんは首をだらりと地面にのべて、言った。
「よろしい。空の上はもう寒いからね。さあ、首にまたがって」
 僕は思い切って早瀬さんの肩に手をかけると、体をひっぱりあげた。見た目とはちがって、早瀬さんのうろこはしなやかで、そんなに固くはなかった。
「つかまったかい。では、行くよ」
 僕の太ももの下で、早瀬さんの、たばねたロープのような筋肉が動いて、つばさがばさばさと広げられる。つばさをいっぱいにのばした早瀬さんは、体じゅうに、ぐっ、と力をこめると、はばたきを入れた。次のしゅんかんには、もう僕は空中にうかんでいた。
「しっかり足に力を入れて」
 僕はあわてて首にしがみつく。早瀬さんはさらにはばたいて、高度を上げてゆく。まわりの家やビルがとおくなる。早瀬さんは西に方向を定めて、ますます速く飛びはじめた。

「怖くないかい」
 僕はうなずくのがやっとだった。早瀬さんの首から、なんとか顔をあげた僕の目に、しずみはじめた真っ赤な夕日が飛び込んでくる。ただ完ぺきに丸い夕日に照らされて、まっ赤にそまった早瀬さんと僕は、まっすぐに飛ぶ。ゆうぐれも近い。


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