Y染色体は壊れない

 産經新聞はいかんのではないか。私が最初にそう思ったのは、ラジオCMだ。以前、通勤中にラジオを聞いていたときに、よくこの新聞のコマーシャルを聴いた。一般に、ラジオで流れるCMは、テレビのそれに比べて面白いと思う。メッセージを言葉の力でもって伝えなければならないので(田園風景の中を車が走るめっちゃ走る、というようなものは作れないので)わかりやすいのだ。「同じのを毎日聴かされる」という欠点さえなければ、番組そのものより楽しいこともある。たとえば、東京都心のマンションを紹介するラジオCMで、うろ覚えだが、

「はい、大西さん天ざる一枚ね」
――都心に住み、老舗の蕎麦屋さんに通うようになって半年、今日やっと名前で呼ばれた。お祝いに、お銚子一本追加した。

というようなのがあって、通勤の自家用車の中で一人身もだえした。本当にラジオCMは素晴らしい。

 産經新聞だった。この新聞も同じラジオで購読者を募るCMを流していたのだが、その内容、主張するところはおおむね次のようなものであった。
  1.社会人として、新聞くらいは読むべきだ。良いことだから読もう。
  2.今購読をすると、スヌーピーの豪華オリジナルグッズがもらえる。
  3.駅のキオスクで一部百円、配達の場合は一月三千円で読めて安い。
 中でもとりわけ3なのであった。安いのか。やすいのか。

 いや、そんな面白がり方はどうかとは思う。新聞のCMはどうやっても作りにくそうで、だからこれだけで判断するのはよろしくない。やはり大切なのは中身だろう。

 ところが。例の「六で割ってみること事件」という、いや、これは私がそう呼んでいるだけだが、そういうヘンテコな記事があって、主観的かつ高飛車で誠に申し訳ないが、それ以来、記事の内容も、その、百円なのかな、とか、私はそんなことを思いはじめている。そして、そう思って見るからかもしれないが、その後もちょくちょくと、これはどうか、という記事が載っているのだった。

 その産經新聞記事である。2005年11月30日朝刊。皇室典範の改正(具体的には、女性天皇を認めるかどうかという議論)に関係して報じられたものだ。

「『Y染色体』の重要性指摘 遺伝子、男系は完全継承」

 皇室典範の改正にかかわる国会議員の懇談会のようなもの(勉強会)が開かれ、その内容を紹介する記事である。そこでY染色体の話が出るというのは、ちょっと面白い。いや、他の報道も考え合わせてみると、勉強会で染色体の問題が大きな焦点として取り上げられた、というよりは、もしかしたら「Y染色体の話がちょこっと出たが、一笑に付された」というような話なのではないかと思うが、産經新聞は、なにか怪しい興味をY染色体に寄せているのである。記事中に有名な竹内久美子氏のコメントが載っていて、端的には記事自体もこういうことが言いたいらしい。

「皇室が成し遂げているのは千数百年にもわたり、ほとんど同じ『Y』を受け継いだということ。われわれが直面しているのは、千数百年もの間純粋に受け継がれてきた『Y』を、いま絶えさせていいのかという問題だ」

 そうなのだろうか。我々が天皇家を天皇家として見ているのは、特定のY染色体を担っているからではないと私は思うし、これはそれほど特殊な意見ではないと思うのだが、記事では誰もそういう冷静なことを言わないので、おそろしく不安になる。なにしろ、記事中にもう一人、専門家としてコメントを寄せている蔵琢也・同志社大ITEC研究員など「国民や世界の人々はそれでこそ皇室の中に二千年の歴史の重みを感じる」などと、さらに極端なことを主張しておられるのだ。

 Y染色体とは何か。Y染色体について、産經新聞はカコミを作って用語解説をしている。

Y染色体
 人間の染色体(遺伝子の集まり)は46本あり、男性だけが持つY染色体は性別を左右する重要な役割を果たしている。(中略)卵子と精子が交わり受精する際、Y染色体は相手のX染色体と遺伝子をほとんど交流しないが、X同士は遺伝子が混ざり合う。

 なんかちょっと違う、と思う。Y染色体に含まれるのは比較的小さく重要性の低い遺伝子である(なにしろ女性はそれなしでやっている)とも書いておくべきだと思うが、染色体同士で遺伝子が「交流」(交差)するのは、受精ではなくその前、減数分裂の際ではなかったろうか。

 以下「大多数の場合そうだ」「ほぼそうだ」という精度の話になるのだが、我々は細胞内に長短23対、46本の染色体をもっていて、それぞれがDNAを内蔵し遺伝情報を担っている。ふつう、染色体にはそれぞれ対になるペアがあり、ほぼ同じ情報を母方父方の二重に備えている。しかし、X、Yとアルファベットが振られた二種類の染色体(性染色体)だけは例外である。長いX染色体と短いY染色体があって、男性は母から受け継いだXと父から受け継いだYを一本ずつ、女性は父母それぞれから一本ずつ二本のX染色体をもっている。

 精子や卵子には普通の細胞の半数しか染色体が入っていない。これを作る減数分裂のとき、我々は自分の46本から23本の「抜粋版」をつくるからだ。その際、対になっている二本の染色体の中身をシャッフルして、一本の染色体を合成するようなやりかたをする(交差という)。二組持っている書類のホッチキスを外して、1ページ目はこっちの組から、2ページ目はこっちから、とランダムに選んで一組作るようなものである(あとで、受精することで書類はあわせて二組に戻る)。ただ、男性の場合、XとYは違うので、この組についてはほとんど遺伝子が混ざり合わない。単にXが入った精子とYが入った精子の二種が作られることになる。

 つまり、人間のY染色体は、男の子供に交差なしでダイレクトに伝えられるもので、逆に、ある男性が女の子しか残さなかった場合、その人のY染色体は途絶えてしまうことになる(その代わりX染色体がダイレクトに伝わる)。記事ではそのへんを図入りで紹介したりしている。なんだか気合いが入っているのだった。

 とはいえ、仮に天皇家が純粋なYを受け継いできたとして、私の持つYだって、私の直系の男の祖先からまっすぐ伝わってきた純粋なYには違いない。皇族でなければ他のYとまざっちゃう、ということはないのだ。さらに言えば、あるとき天皇家から離れたYが、その結果何かに「汚染」されるということもないので、ある天皇の息子が別に直系の男子をもうけていた場合、そっちのYは純粋な形で、一種のバックアップとしてそこに残っている、といえる。科学の議論ではなくて、結局は「どう思うか」ということに帰するので、あまり強く主張できることではないが、少なくとも取り返しのつかないようなことではないと思うのである。

 しかし、まあ、それもこれも「皇族も46本の染色体を持っている」を前提にした議論である。戦前あたりは、それ以前の問題として「現人神である」ということになっていたのではなかったろうか。実際どのくらいの人がそう信じていたのかは私にはよくわからないが、そういう議論自体不敬である、とされてもおかしくない気がする。この記事の図に「神武天皇のY染色体の伝承図」などという(書かずもがなの)キャプションがあるのを見ると、なおさらそう感じるのだ。

 つまり、これも科学の勝利、なのかも知れない。よい時代ではある。


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