ハットしてグー

 会社にいると、他では聞かない、面白い言葉をいっぱい聞く。前にも書いた気もするが、「職場の5S」というのはその一つで、これは、整理、整頓、清掃、清潔、躾(しつけ)の5つの言葉の頭文字Sである。職場をいつもきれいに整えておくことで、快適に仕事をしようとか、事故を防ごうとか、そういうことだ。実は、もともとこれは最後の「躾」を除いて「職場の4S」と呼ばれていた、らしい。

 これに「躾」を加えたのがいつで、それが誰の発案なのか、私にはわからないのだが、これは「ちゃんと以上のこと(4S)をやるように従業員に躾が必要」ということだと聞いている。といっても、これについては人によって言うことが微妙に違ったりして、本当なのか自信がない。間違っていたとしたら恥ずかしいが、仮に本当だとすると、4Sに「躾」を付け加えることで、標語自体の信頼性がどこか、かえって低下したような、そんな感じがしないだろうか。

 よくわからないかもしれないので補足すると、つまりこういうことである。有名な、アシモフのロボット三原則に、一条付け加える。

第一条。ロボットは、人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条。ロボットは、人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合はこの限りでない。
第三条。ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
第四条。ロボットは、第一条から第三条までをしっかり守ること。

 なんだかロボットという存在が、急にうさんくさい、いいかげんで信用ならない感じに見えてくると思うのだがどうだろう。こんなのもある。

運動の第一法則。周囲から外力が作用していない物体は、静止、あるいは直線上を一定速度で運動し、外力がない限りその状態を変えない。
運動の第二法則。物体の運動の変化は、外力の向きと等しい方向に、質量に反比例し外力に比例して生じる。
運動の第三法則。力の作用に対しては、向きが反対で強さが等しい反作用が常に生じる。
運動の第四法則。以上はゼッタイ正しい。

 とたんに大丈夫かニュートン、と言いたくなるのである。理論的には、四つめがあろうがなかろうが事情は何も変わらないはずなのだが。

「躾」のことはさておくとして、「ヒヤリハット」というのも、そういう用語の一つだ。会社を通じてだけではなく、新聞にも書いてあったのを見かけたので、もしかしたら今後一般的な言葉になってゆくのかもしれない。要するに「ひやりとした」とか「はっとした」事例をたくさん集めて、事故を防止しようという話だ。

 どうしてヒヤリハットか。もうちょっとで事故になるところだった、というようなこと(ヒヤリハット事例、またはインシデント)が起きたということは、そこに事故になりやすい原因が潜んでいるのであり、実際に事故になるまえにその原因を取り除けば、人命や財産が失われるのを防ぐことができる。なにしろ、ハインリッヒの法則というものがあって、一件の重大事故に比して二九件の軽い事故が、そして三百件のインシデントがあるのだそうである(※)。重大事故だけ見ていては防げない事故も、ヒヤリハットを抽出し分析することで、未然に防ぐことができるというわけである。ミスを犯し、ルールを破るのが人間だが、それにはなにか理由が、それも「従業員の教育」とか「自覚」以外の何かがあるはずで、そのあたりをヒヤリハットは浮き彫りにし、設計の変更を要求するのである。

 しかしそんなことはどうでもよい。私は言いたい。この言葉のセンスのミもフタもない感じは、決してバカにしたものではないと。ヒヤリハットという言葉は、確かに、格好いいとは言えない。「職場の5S」のほうがまだマシというべきであり、ゆきずりの女性にモテるためには「おれ、会社でヒヤリハット事例を集めててさー」などというよりインシデントと言ったほうがいい気がする(話題がこれでは差はわずかという気もするが)。しかし、職場でおっちゃん相手に言うのであれば、これは断然ヒヤリハットだ。一度聞いたら忘れない、なにか日本人の言語感覚に訴える力のある言葉だという気がするのである。

 こういう言葉のセンスは、どこかで一度経験したことがある、と初めてヒヤリハットを聞いたときからずっと思っていたのだが、最近気がついた。これはもしかして「ドラえもんのひみつ道具」ではないだろうか。タケコプター。どこでもドア。タイムふろしき。もしもボックス。ヒヤリハット。ほら違和感がない。ヒヤリハットがどういう道具かというと、ええと、ある夏。ものすごい猛暑にすっかりへばったのび太がドラえもんに泣きつく。ママったらクーラーなんてぜいたくです、なんていうんだ。これじゃ暑くて宿題もできないよ。ちゃっちゃかちゃちゃちゃーちゃーらー。ヒヤリハットー。これはかぶるだけでヒヤリとする帽子なんだ。外に遊びに行くときは、帽子を忘れずにねのび太くん。

 なにか違う。違うがまあよい。ヒヤリハットはかぶると次々インシデントが起こってものすごくヒヤっとするというのがいいと思うが、ヒヤっとするような状況をできるだけなくすのが科学技術の真の役割なので最初から矛盾した道具だという気もする。だいたいそういうことを言うのであれば「職場の5S」はどうなのか。これはひみつ道具にふさわしくないか。ママったらおもちゃを片付けてからでないと遊びに行っちゃ駄目っていうんだ。これじゃしずかちゃんの家で宿題ができないよ。ちゃっちゃかちゃちゃちゃーちゃーらー。職場の5Sぅー。これは唱えるだけで部屋がみるみる片付く呪文なんだ。特に最後のSをビシビシ仕込んでやるから覚悟しやがれのび太くん。

 大差ない上にこっちのほうが話として楽しい気もするが、とりあえず、九月はまだ二回しか更新していないという事実にヒヤっとしつつ、いきなり終わるのである。すいませんでした。


※どうでもよいが、有効数字の考え方としてこれは1:29:300ではなく1:30:300でいいと思うがどうだろう。
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