宇都宮の地球

 栃木県宇都宮市といえば餃子の街として有名である。たとえば駅前にあるのは、水戸だと水戸黄門の像であるが、宇都宮の場合はこれが「餃子像」だ。どっちでも同じことのようだが、餃子の場合はなにかここに観光客に対する「おもてなし」の意思をより強く感じとることができる、気がするのである。こういう、特定の料理なり産物なりをクローズアップして、観光の目玉、キーワードにしてしまうというのは、一般に街が大きくなるほど一体としての取り組みがしにくくなるのではと思う。人口が45万人もある県庁所在地なのに、このようにはっきりとしたテーマを押し出すというのは、偉いことだ。なかなかできないことだ。

 しかし、もちろん宇都宮の人が餃子ばっかり食べているかというとそんなことはない。なにしろ向こうは新幹線も止まりパルコもある大都市である。いや、確かに餃子を食べる機会はちょっとほかより多いかもしれないが、おおむね人はそこで普通に働き、家庭をもち、生活している。子育てだってさかんに行われているのであり、たとえば宇都宮市の郊外には「栃木県子ども総合科学館」という、立派な科学博物館がある。

 この施設に向かうと、まず屋外の巨大なH2ロケット(模型)と、風力発電用の風車が目を引く。プラネタリウムを備えた科学博物館である本館のほか、屋外に遊具があってミニSLが走るなど、子供向けの遊び場(公園)としての機能も果たしているのではないかと思う。しかし、今回注目したいのは、「日本列島ゾーン」という展示である。

 この巨大な展示物は屋外の、H2ロケットの模型の横に、あまり積極的にプッシュもされていないような感じで設置してあるのだが、あるとき行ってみたらこれがものすごく興味深かった。ホームページ(※1)での説明には「日本列島の地図」などと端的なことが書いてあるだけで、いかにも面白くなさそうなのだが、実はこれはただの「十万分の一の日本地図」ではない。「十万分の一地球」の一部らしいのである。

 もう少し説明しよう。これは一見、ただの丸い丘か、もしかして消防用の水タンクかなにかに見える。近寄って見ると、丘の表面にはタイルが敷き詰められ、それぞれのタイルに地図が印刷されて、全体として日本列島とその周辺の地図になっていることがわかるのだが、どこにもなんとも書いてないものの、どうやらこれが、正しい縮尺で地球を再現する球面上に作られた「十万分の一の地球儀」の一部らしいのだ。大きな地図ではなく、大きな地球儀の、そのてっぺんのところだけが地上に出ている格好である。

 気になったので、今回文章を書くにあたって電話で問い合わせてみたのだが、「地球は実際には球体ではなくてちょっと扁平だったり洋ナシ型だったりする」というレベルで正確かと言われると困るが、だいたいの地球の曲率を再現するようには作ってあるそうである。

 丘に登ってみると、なるほど地球は丸い。当たり前のようだが、その丸さは、今まで私がなんとなく考えていたよりもずっと丸いもので、日本全図くらいの地図でも、平面と思っていると大間違いだということがわかる。私は兵庫県に生まれて茨城に住んでいるのだが、兵庫県の人と茨城の人では「上」と思っている方向がけっこう違う。行き来するとなると「一山越えて」というくらいの丸みを越えてゆくことになる(この丸みは等ポテンシャル面なので本当は山なんかないが)。今は「グーグルアース」という素晴らしいソフトウェアがあって、こういったことはかなり簡単に体験できるようになっているが、実際に登って触れる模型にはやはりそこにしかない迫力がある。かなり興味深いのでお近くの方は一度ご覧になってみてください。

 さて、縮尺十万分の一ということは、兵庫−茨城間がだいたい七百キロメートルだからして、これが7メートルの距離で描かれていることになる。普通に立った時の目の高さが1.5メートルとすると、この高度は地図上では150キロメートル。人工衛星は低いところを回るものでもだいたい高度300キロメートル以上が普通だから、結構高いところを回っているというのが実感である。一方、ジェット旅客機の巡航高度はだいたい一万メートル前後だから、この縮尺では高さ10センチである。大気圏は本当に薄い。

 この模型上では残念ながらタイル上の図形や文字で表現してあるだけだが、この縮尺では、富士山は高さ約4センチの盛り上がりだ(※2)。恐ろしいことに、このくらいの縮尺になると、人工物でも大き目のものなら目に入る大きさである。たとえば六本木ヒルズ(※3)は、おおむね高さ3ミリ、直径が1ミリ足らずの、シャープペンシルの芯みたいに見えるはずだ。このスケールの模型を本当にリアルに作るためには、地形だけではなく大きいビルや橋なんかも再現しなければならなくなるのである。実に面白い。

 さてここで話は変わる。ときどき、海岸なんかにゆくと「地球の丸さを見る丘」というものがある。

 たとえば越前海岸かどこかで見たような気がするが、海岸沿いの高いところにある展望台に、ここから水平線を見ることで、地球の丸さを実感できる、と解説してあることがあるのだ。水平線が地球の丸みを原因として曲がって見えるということだが、小さい頃、この記述が不思議でならなかった。というのも、何かが曲がって見えるとしたら、前と横でなにか条件が違わなければならないわけだが、水平線までの距離は右を見ても左を見ても変わらないのだから、丸く見えるはずがないと考えたのである。丸く見えるとしたら、ただの錯覚ではないかと。古代人が地球が丸いことを知っていた理由の一つとして、水平線の向こうからやってくる船の、まずマストの先から見え始めること、というのがよく挙げられているが、それとは一応、別の話である。

 ところが、今になって考えると上の考えは間違っている。程度問題だが、高いところに見えると、実際、水平線は曲がって見えるのだ。極端な話、高さ三万キロくらいのものすごく高い展望台がもしあったとする。これは気象衛星なんかがある高度に近いが、そこから「足元」にある地球を見ると、視半径はちょうど10度くらい。これはつまり、60センチくらい離れたところにある直径20センチの円盤に見える、ということである。私の手を伸ばして、そこで手のひらをいっぱいに広げるとだいたいそのくらいだ。当たり前だが、これは確かに、丸く見える。水平線(あるいは地平線)というものは、この場合は円盤のように見える地球のフチのことである。

 次に、そこから展望台を降りてゆく。降りるに従って地球はだんだん大きく見えて、次第に視野いっぱいに広がってくる。お盆を目に近づけてゆくのと、事情はまったく変わらない。地球が大きく見えてくるに連れて、その丸さはだんだんわかりにくくなるが、それでも「丸い」ことには変わりはない。そうして、地上に降りてしまうと、円盤だった地球は視界のちょうど半分、ぐるり180度を占めることになるが、このとき、水平線(地平線)は自分のまわりで天球上の大円になるので、このときはじめて、直線に見えることになる。

 つまり逆に言えば、地球がいくら大きくても、観察者が地上にべったり張り付いたときをのぞき、ちゃんと水平線は曲がって見えるはずだ、ということなのである。難しいことを言っているようだが、丸いお盆が直線に見えるのは真横から見た場合だけだ、ということと、同じである。円盤は、少しでも斜めから見ればふちがまっすぐでないことがわかるわけだが、同様に地球も少しでも高くから見れば、水平線はもはや直線ではありえない。たとえば、富士山から下を見れば、地球の視半径は88度ということになるが、これはつまり前と真横で、水平線が2度(これは伸ばした腕の先の指一本の幅分くらい)曲がって見える、ということである。水平線が見える高い丘から見ても、わずかだが、水平線は大円ではなく、曲がって見えるはずだ。

 さて宇都宮の地球儀に戻る。この丘の上にのぼって下を見下ろすと、地図のフチが目に入ってきてしまう。計算すると、高さ150kmから見たときの地平線までの距離は1400キロくらいあるので、微妙にこの地球儀の大きさ(地球の丸みを再現している範囲)が小さいようだ。しかし、もしあなたがもっと小さくて、たとえば私の長男(三歳)くらいだったとしたら、地平線までの距離は千キロ前後になるから、この地球儀において、地平線を見ることができるかもしれない。視半径は80度くらいだから、このときは地球はかなりちゃんと丸く見える。

 そしてそれを実感するのは意外に簡単だ。この地球儀のてっぺんに座って周りを見回すと、地図の端が丸みの向こうに隠れて、遠い空と丸い地球の間で一人ぼっちになることができる。私が今より小さかった頃、こういうところに連れてきてもらうと、親の姿をすぐ見失ってしまって不安になった、なんてことを思い出す。成長すること、それは地平線が広がってゆくことなのだ。たぶん。


※1 http://www.tsm.utsunomiya.tochigi.jp/shisetsu/index.html
※2 実は「この地図が本当に地球の丸みを再現しているのか」という疑問を現地で解決するために「富士山山頂からはぎりぎり茨城くらいまで見ることができる」という知識を使って、地図の富士山のところに寝そべってみた。確かに、茨城くらいまで見えたような気がする。
※3 正確には、六本木ヒルズという名がつけられた一連の施設のうち、六本木ヒルズといえば通常みんなが思い浮かべる、最も高いあの建物。六本木ヒルズ森タワー。
トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧ヘ][△次を読む