老科学者は消えず

 昔「究極超人あ〜る」に書いてあったが本当だ。CMネタはすぐ風化してしまう。私自身が、自分で面白がって書いたはずのこの雑文この雑文でさえ、すでに何のことだかわからなくなっている。我ながら奇妙でならない。CMには放映終了とともに見ている人の記憶から消えるよう、なにかあやしい仕掛けがしてあるのではないか。と、言い訳をしながら書くわけだが、少し前までテレビでやっていた(※)、ポプラ社のオンライン百科事典のテレビコマーシャル。あれがどうにも悲しかった。

 忘れた方、見ていない方のために詳細を紹介しよう。古い本がたくさん積まれた、巨大な図書室を、一人の少年が訪れる。にこやかに、何を知りたいんだね、と訊ねる博士に、少年は太陽系の惑星のことを訊く。どれどれ、と博士が埃に包まれた分厚い辞典をめくり、なになに、水金地火木土天海冥、と読んだところで、少年はびしっと指摘する。博士、情報が古いですよ。博士の頭上に積まれた山のような本が、蓄えられた知識が崩れ落ちる。

 わあ悲しい。とてつもなく悲しい。まだ見てなくて悲しくない人は今ならまだ「ポプラディア」で検索すると当該ページでCMが見られるので、ぜひご覧ください。ほらほら、よくあるじゃないですかこんな感じのあれ。

 検索窓ともかく、しかしだ。我々は、他はともかくとして「科学」というものこそ、あらゆる感傷を超えたもの、情も何もない冷たいものであると、あらかじめ知っていたのではないだろうか。昔から広く伝わってきた知識が、だからといって正しわけではないこと、それこそが科学なのであると、十分に納得し、わかっていたはずではなかったのか。

 確かに、上の小さな物語で扱われている「惑星の定義」という話題は、科学的な知識が新たな情報により変化してゆくことの、その典型的な例というわけではない。惑星の仲間に冥王星を入れるかどうかという問題は、科学的知識というには少しふさわしくない、呼ぶ側の都合でしかない部分があるからである。しかし、もっと本質的な、たとえば物理法則のようなものでさえ、あるとき突然否定されることがあるということ、そしてそれは、もとの知識がどれだけ多くの人に信じられ、どれだけ愛されていたかといったことに関係しないということ、これはやはり、科学とは決して切り離せない本質というほかない。あのコマーシャルに登場するへんな髪型をした少年がいかに小憎らしくても、残念だが科学とはそういうものなのだ。

 だが、それとこれと別なのである。上のごとくもののわかったようなことを書いておいてなんだが、それはそれとして、やっぱりこのコマーシャルがとてつもなく悲しいのはどうしようもない。喜々としてパソコンを操作し最新の知識を吸収する少年ではなく、図書室に取り残された老博士に感情移入してしまうのはどうしてか。凍りつくような恐怖とともに思うのだが、これはつまり、結局、私も年老いているということではないのか。年老いて怠惰になり、新たな研究、新たな知識を得てゆくことではなく、昔自分が習い覚えた古く安心な知識を使ってすべてを判断したいと考え始めているのかも。

 ぶるぶるぶるぶる。いやいやいやいや、そうではない。そうではないはずだ。頼む。これはそんな根本的でさみしい話ではなく、要するに好感度である。更新されない知識への疑問を呈する、本来正しい役割を果たすはずの少年が、さっきからそればっかり書いているが、あまりにへんな髪型をしているからであって、要するにコマーシャルの作り方なのだ。そうにきまっている。実際、同じ内容を伝えるにも伝え方というものがあって「博士、情報が古いですよ」の代わりに、へっと笑って「科学技術立国としての日本も、もう終わりだな」とか言われたら腹が立つではないか。つまりはこれだ。ここは逆に、好感度の高いキャラクターがもう少しソフトな言い方をする別バージョンを書けば、そしてその中では、上の博士役がどこからどう見ても悪者に、訪ねる少年側が誰もが味方したくなるキャラクターを設定してそれで描けば、まったく違ったふうに見えるはずである。そうにきまっている。よしやってみよう。

──おどろおどろしい洋館のような建物。蜘蛛の巣にまみれた手入れの悪い図書室の奥に、にごったまなざしを持つ初老の司書がいる。司書というよりは、小役人のような底意地の悪い表情をして、暇そうに、ゆっくりと煙草をふかせている。長い間洗っていない不潔な白衣を着込んで、埃が積もった机の上を掃除しようともせず、何がおかしいのか、時折ひとりくつくつと笑ったかと思うと、神経質そうに体をゆすったりしている。
 そこへ入ってきたのが、すらりとした美しい手足と透けるような肌を持つ、これはもう美少女というほかない、制服姿の女の子である。彼女が入ってくるだけで、わずかではあるが、この救いがたい場所にも、太陽の光が差し込んできたかに思える。その少女の表情は、これから遭遇するだろう、避けられない不快な経験への予感に曇っているが、そうしていてさえ、若さが、そして希望が彼女に太陽のような美しさを与えていた。
 司書は突然現れた彼女の姿を目に捉えると、ほう、と小さく息をついただけで、自分からは何の声もかけることなく、無遠慮な視線を少女の体の上にさまよわせた。少女は気後れだけはするまい、と、ぎゅっと唇を、いちど引き結ぶと、それからこう言った。
「太陽系の惑星について……教えていただきたいのです」
「ああ?」
 こちらは忙しいんだけどな、と言いたげな男に、少女はきっぱりと、言った。
「聞こえなかったんですか」
 投げかけられた言葉、そして少女の純粋な瞳のもつ力に、この年まで何もすることなくただ禄を食み馬齢を重ねてきただけの司書は、冷水を浴びせられたような感覚を味わう。優位を失うまいと精一杯の威厳を繕って、あ、惑星ね、わくせいわくせい、とぶつぶつと口の中で繰り返すが、少女は何も言わず、男を見据えている。
「えー、なになに」
 男はときおり上目遣いに美しい少女をねめつけながら、埃だらけの百科事典の一冊を取り出し、めくってみせる。少女は、せかすでもなく、ただ事典のページ上に真剣な視線をなげかけているが、それだけで司書はあせりを覚え、そんな自分に腹を立てていっそうページをめくる手が乱暴になる。
「ああこれだ。なになに、水金地火……」
「!」
 はっと、雷に打たれたような表情をして、司書が開いたページを覗き込もうとした少女に、突如として男は、自分がはじめて精神的に優位に立ったこと気づいた。口をつぐむと、少女の視線から隠すように、さっと本を引き寄せる。男がこのような行為に出るとは予想しなかったものか、あまりにぶしつけで無礼な態度に、少女はただ唇を震わせるだけで何も言えない。それでも、やっとのことで何か言いたげに口を開いた少女を、口元にゆがんだ笑いを貼り付けたまま、へへ、と笑うと、男は下卑た期待に胸を躍らせながら、こう聞くのだ。
「そんなに知りたいかね、それじゃ……」

 ぶるぶるぶる。もういい。もうわかった。えーと、つまり、科学の進歩のためには、こういうかわいい女の子をいっぱい引き入れる努力が必要であると、そういうことなのかもしれない。違うかもしれないが、私にはそんな気がする。


※2007/7/9追記。……と書いたものの、実はまだ放映中だったみたいです。さっきテレビで見ました。すみません。
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