黄昏のポケコン刑事

 一九八五年、と言っておこう。正確には覚えていないのだが、いずれそのへんであり、誤差五年はない。その時私は中学生で、小学生だった弟の買った漫画を盗み読みしていた。そう、ポケコン刑事。彼は、そこに載っていたのである。

 掲載誌が正確に何であったか、私が読んだその漫画が連載の一篇だったのか、それとも読み切りだったのか、それもよく覚えていない。そういう模糊とした話を恐れ多くも畏くもインターネット上に情報でございと書き並べていいのかと思うが、しかし、ともあれ、ポケコンの刑事の漫画があったのである。ポケコン刑事というのは「ようしお前はポケっとしているから今日から『ポケコン』だ」とか、そういうものではない。ポケコンを、すなわちポケットコンピュータを常に携えた刑事が登場する、刑事漫画だったのだ。

 漫画の内容を書く前に、もしかしてポケコンそのものからして説明しなければならないのかも知れない。今となってはあまり見かけない、むしろポケモンとややこしいくらいのことだが、ポケットコンピュータとは、大きめの関数電卓くらいの大きさの、電池で動く携帯用コンピュータである。ここで電子手帳とかインターネットアプライアンスとかゲームボーイアドバンスを想像されても困るが、小さいとはいえコンピュータ、電卓に必要なキーのほか、アルファベットのキーがついていて、通常の関数計算のほかベーシック言語で簡単なプログラムを行い、高度な計算や、お望みとあらば簡単なゲームをプログラムすることができた。そういうものである。

 では、このポケコンを使う刑事とは何者か。私が読んだ回においては、このポケコン刑事は猟銃を持った危険な犯人と対峙し、ヒロインとともに港の倉庫のコンテナの陰とか、まあどこかそういう所に隠れていた。犯人が一歩一歩近づいてくるなか、丸腰のポケコン刑事は、しかしひとつも慌てることなく、ポケコンのスイッチを入れ、何かプログラムをはじめる。心配そうに見守るヒロインににっこりと笑いかけた彼は、最後にポケコンに「RUN」と命令を打ち込み、さっと床を滑らせて、ポケコンを放つ。

「ピ、ピピピピピピピ」

 時折聞こえるかすかな霧笛のほかは全く静かな倉庫の中に、突如電子音が鳴り響く。驚いた犯人が振り返るが、そこにあるのは薄い銀色の電卓もどきだけ。あっ、と策略に気付く間もなく、たちまち物陰から躍り出たポケコン刑事は、犯人の後頭部にハイキック一閃、絶体絶命の危機を脱したのであった。そして刑事は、今回のプログラムはこうだ、と読者にソースコード(というほど偉そうなものではないが)を開示するのである。凄いぞ、ポケコン。

 私の勝手な記憶によれば、この「ポケコン刑事」は理系の子供向けのなかなか面白い漫画だったのだが、連載が続くとして果たしてこの後どうなったのか、あるいは連載を続けるとすればどのように話を続けてゆけばよいか、非常に悩むところではある。なにしろ、ポケコンは理系の学生や仕事上複雑な計算が必要な人にとっては非常に有効なデバイスではあるものの、刑事の仕事、それも漫画に出てくるようなアクションシーンには、正直言って、その、あんまり役に立たなさそうではないか。連載が続くに連れて、ポケコンは「お前の懲役はシメてこれだけだ」と提示するための小道具に成り下がったり、胸に入れておいたポケコンが銃弾を食い止めたり、あるいは武器として、ええとほら、なんだ、ポケコンのカドで、こつんと、痛いイタい、ええと、そういうものになりはしないかと、心配なのである。

 いや、もちろん二一世紀も三年目に突入したこの現在においてそのようなことを今さら心配してもしかたがないのだが、ポケコンで話を作ることは難しくても、他の製品、たとえばいまかなり多くの人が日常持ち歩いている「携帯電話」であったら、せめてもう少し話として作りやすいものになるかもしれない。「携帯電話刑事」ではいかにもモサいので「ケータイ刑事」と呼ぶとすごく軽そうに見えるが、まあ、そういうものを書いたとすればどうか。

 考えてみよう。一九八五年にその刑事だけが持っている特殊アイテムとして携帯電話があったとして、なのだが、これはかなり有力なデバイスである。まず電話をかけられる。当たり前のようだが、小型で携帯できる通信機器というのはその頃の一般の人々にとっての見果てぬ夢でしかなくて、まさかそんなものが近々庶民に手が届くものになるなど思いもしなかったものである。しかも実際に仲間を呼べるので、アクション的な有用性もそこそこ高い(確か「ゴレンジャー」のキレンジャーはそういう通信能力を持ったメンバーだった)。

 しかも携帯電話の場合、それだけではない。プログラムこそできないものの、今どきのケータイは非常に多岐に渡る機能を備えているのだ。インターネットに接続できたりジャバのソフトをダウンロードしてゲームができる、というのはそれだけで幾つも話が作れる機能だが、それ以外にも、音楽が鳴ったり、漢字仮名交じり文でメモが残せたり送れたりする。時計がついていて目覚ましやリマインダとしても使える。機種によっては写真が撮れたり、「この人を知りませんか」と写真を見せることもできるし、四則演算程度の電卓も付いている。バックライトはなかなか明るくて足もとを照らしたりカギ穴を探すのに有効だし、アンテナを延ばせば耳や背中がかゆいときにちょっと便利だ。いや、なんだか話がおかしくなってきたが、漢字の書き方を忘れたときにちょいと参照できたり、作曲ができたり、GPSなどという恐ろしく有効でどう有効に使ったらいいのかわからないほどの機能さえ、ついているやつにはついているのだ。

 これはたぶん、当時ポケコンを使っていた理系の人々がそういうものが欲しいと思って、またポケコンのほうでもぜひそうありたいと思って、しかし製造技術やインフラの限界から到底そうはなれなかった、そういうものにかなり近いと思う。それがたったの十数年、これらの機能を備えた電子的な十得ナイフを理系の好事家のみならず爺ちゃんから小学生まで一人ひとりが携帯しているという状況がまったく当たり前なのは、よく考えたら恐るべきことである。一九八五年にこれを持っていたら、かなり優秀なスパイとして活動できるのではないか。凄いぞケータイ。

 ところが、である。ここまで書いておいて前言をひるがえすようだが、このような多彩な機能を備えていても、携帯電話が情報機器であることには違いはない。ではどんな話を「刑事もの」として書けばよいかというと、やっぱりちょっと悩んでしまうのだ。アラームをしかけておいて犯人の後ろに滑らせて音で注意を引いたり、真っ暗な中携帯電話のライトを頼りにインターネットから情報収集しながら時限爆弾を解体したり、携帯電話に貼ってあったプリクラから犯人の女性関係を推理したり、ええと、電池を外してその電力を利用して火を起こしたり、アンテナを引き抜くと鋭利な針になっていてそれを投げたり、携帯電話の角の痛いところでごつんと犯人を殴ったり。その、なんだ。

 やっぱり単なる「カラテ刑事」とかのほうがいいような気がするのである。結局のところ、理系は刑事に向いてないのではないだろうか。


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