逆恨みのホメオスタシス

 そういえば人間関係もそうだが、ひいきにしていた店を突然避けるようになり、二度と行かなくなる、なんてことがあるものである。もちろん、人間だから好悪の感情はあって、たとえばラーメン屋なんて他にもたくさんあるのだから、不快な思いをした店には二度と行かないというのは、まあ、当然のことである。ただその不快な思いというものが、「味」や「値段」「接客態度」のようなもっともな原因ならいいとして、完全な逆恨み、相手はぜんぜん悪くないと自分で分かっているような原因だったとしても、行きにくくなってしまうことはあると思うのだ。

 たとえば「その店で大失敗した」というのはどうだろう。カウンターでラーメン鉢をあやまってひっくり返してしまいあたり一帯を阿鼻叫喚の渦に巻き込んだり、目を離した隙に子供が観葉植物に突入して植木鉢は木っ端微塵になるし枝はボキボキに折れるし血はどばどば流れるし、などということがあったとしたら、まず穏便に済んだとしても、その店には二度と行けなくなる、気がする。もちろんこんなのは全部自分が悪いのであって、逆に損害賠償を請求されなかったら儲けものであって、だから「もう行かない」というかたちで自分が店に相対的な損害を与えるのは忍びないのだが、自分にとっての「鬼門」「ゲンの悪い場所」として、行きたくなくなるとは思うのだ。これは「店の人に申し訳なくて顔を出すのが恥ずかしい」とは、一応、別の感情だと考えたい。もっと、逆恨みチックなものである。

 一度ここに書いたことなのだが、私がはじめて自分の意思で自動車を買ったとき、そのシェイクダウンクルーズというべきドライブのときに、横を走っていたトラックから飛んできた石ころでフロントガラスにヒビが入ったことがある。これまでの年月、父親のや友人の車、あるいは公共のものも含めていろんな車にそれはもう長い時間乗ってきたわけだが、一度としてこんなことはなく、さらにこれ以降も二度とこんな経験はない。それなのに、ああどうしたことか、新車を買ったぜヤホーという気分が最高潮に達したまさにその瞬間にガツンと、おそらくはかなり低い確率の事故に遭ってしまったわけで、そのときの私の落ち込みようといったらなかった。

 あまりにも腑に落ちないので、何か無料保証期間のような、買ったばかりの車のこうした傷を無料で直すしくみがないものかと思って調べてみたのだが、マニュアルかなにかにわざわざ「飛んできた石によるフロントガラス等の傷」と保証しない例としてはっきりと書いてあって、またもう一段落ち込んだ。いやさメーカーにまったく罪はない。恨むべきは通りすがりのトラックで、あるいは自分の運で、それなのに、私は思ったものである。もう二度とトヨタの車は買わないと。

 分かっている。逆恨みなのである。トヨタはだから、ぜんぜん悪くないのだ。しかも結局はそのヒビの入ったところを補修して、まあ、数万円の損失で今も乗っているわけだ。しかし、衝撃は強くやり場のない怒りも大きくて、それをどこかにもってゆかないと私の心の平衡が取れない。しこうしてトヨタには悪者になってもらうと私は決意したのである。昔、何かのクレジットカード(たぶんアメリカン・エキスプレス)のテレビコマーシャルで、買ったばかりの商品がいきなり壊れた、という事態に対してそれを補償するショッピング・プロテクションを宣伝していて、私としてはそんなものがなぜ必要なのか(あるいはどうしてカード会社がそんなものを補償するのか)、わけがわからなかったものだが、このとき私は真に理解できた気がした。あれは私のような人間を慰めるため、そしてカードでの買い物を悪い思い出にしないためにあるのではないか。特にカードで買い物をした場合「既に壊れた商品に対する支払請求」というものがあとで来ることがあるからだ。

 先日も、こういうことがあった。使っているノートパソコンが古ぼけてきて、あちこちガタがきはじめているので、思い切って修理に出すことにした。とはいえ、修理に出している間、代わりに使うパソコンがないとものすごく困るわけで、そのためには新しいパソコンを買わなければならない。私のパソコンの使い方といったら、最近はインターネット関係のあれこれを除くともう文章を入力する以外ほとんど何もしていないので、売っている中で一番遅くて画面が狭くて機能の低いダサいやつでいい。というわけでラインナップの中からどれを選ぶかは実に簡単で、思いついたが吉日、メーカー直販のサイトから一台注文したわけである。これがある土曜の深夜のことだ。

 そうして、注文の品が来るのを待っているうちに、週があけて三日目、水曜日。出たのだ。次のノートパソコンが。「フルモデルチェンジ」とはちょっと言えないが、値段はほとんど据え置きで、CPUがどーんと速くなった。詳しいことは私にはよくわからないが、なにかCPUの名前に「2」が入って、「2」がつくことでガツンと速くなったらしい。滝沢2である。落ち着いて考えると、私の用途にはそんなに速いパソコンはいらないわけだが、それでも私はほぞを噛んだ。実にあと5日。それも特に急いでいたわけでもなく、いつでもいいような注文があと数日遅れていれば、出たばかりの最新鋭機(の中で一番遅くて狭くてダサいやつだが)が手に入ったはずだったのに。さらに言えば、私が注文したやつは、なぜかわからないのだが当初の約束から発送が遅れて、それも「発送しました」のメールが来てからもなかなか着かなくて、地元の宅配便屋さんまで届いたのは結局その週の金曜日になった(もっと言えば、その週末家を留守にしていたので、実際に受け取ったのは日曜になった)。機種の切り替えに伴う配送業務の混乱だったのかもしれないが、こんなにも苦労して届いた新しいマシンは既にして古いマシンに成り下がっていたのである。なんてことをしてくれるんだアップルコンピュータ。あんたはひどい人や。

 ひどくはない。もう一回書くが、逆恨みである。アップルとしては「もうすぐ新しいのが出ますから今買わないほうがいいですよ」とは言えない。しかし、自分がどんなに取り返しのつかないことをしでかしたのか、よく考えて理解すればするほど、私の気分はがっくりと地の底まで落ち込んだのである。この運の悪さには、さすがのショッピング・プロテクションも効果がないと思う。アップルのほうで、たとえばそっと「2」にアップグレードしたやつを届けてくれるとか、なにかペン立てとか来年のカレンダーみたいなオマケをくれるとか、そういうことをしてくれればよかったのだが、冷静になるとそんなことをする義理はべつにアップルにはない。ないと思いつつ、もう二度とアップルからは物を買わない、と決意する私なのである(もっとも、直販サイト以外からは買うかもしれない……と弱気になったりしている)。

 さらに逆恨みである。曲がりなりにも新しいのが来たので、古いほうのノートパソコンは修理に出すことができる。移行もほぼうまくいって、これは驚くべきことのような気がするが何不自由なく新しいほうで日常業務がこなせているので、大手を振って古いのを近所の電器店に持ち込み、修理を依頼した。これが昨日のことだ。症状としては「液晶の角度を調整しているとときどきバックライトが真っ暗になって、再起動しないと直らない」「液晶がうまく閉まらなくて変な方向にひねってやらないとラッチがかからない」「液晶を閉じても自動的にスリープしない」の3つである。液晶パネルまるごと交換かなあ、だったら嫌だけどしかたないかなあと思いながら店員に事情を説明した。時間もお金もかかりますが大丈夫ですか、と苦笑いしながら話す店員(想像だが、たぶん悪いのはアップルだ)に苦笑いを返しながら、用紙に住所氏名連絡先を記入していたら、ふと店員が言った。

「言い忘れておりましたが、修理取次ぎ費用として、こちらの表の料金をいただいておりますが、よろしいですね」
 ああ、いいですよ。そうそう、この表、ずっとテーブルに置いてあったんですが、なんだろなと思ってたんですよ。
「ノートパソコンですから、表のこちらの、三千五百円いただきます」
 はい、ええと、財布。ああ、ありゃ。ないです。
「えっ」
 財布の中には……ああ、やっぱり二千円しかないですねえ。カード、使えないんですか。
「申し訳ありません。こちら現金の一括払いでお願いしております」
 確かにそう書いてありますけど、いや、その、今持ち合わせが……ええと、仮に持ち合わせがない場合、一度このパソコンを持って帰ってまた、ということに……
「申し訳ありません」
 私は焦ってポケットをひっくり返してみたが、どんなに小銭をかき集めても、二千九百円くらいにしかならなかった。店員さんの瞳が「こちらはこんな取次ぎをやってもあんまり大した儲けにはならないので、ツケにしておくとかそういう便宜をはかってやるつもりは一切ない」と語っていたので、いや実はそれでもちょっと食い下がったのだが、つまるところ、最終的には、結局、私はまたノートパソコンを家まで持ち帰ったのである。

 これはすべて私が悪いのであって、完全な逆恨みだ。逆恨みだし、かわいそうにアップルコンピュータの分も逆恨みをこうむっている気はする。しかし、私は心に誓った。なんだこんちくしょー、こんな電器屋、もう二度と来てやんない、やんないんだからなっ。


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