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 たとえば近所の小さな本屋さん。個人でやっている小さな店で、小さな店だから、それほど品揃えはよくない。もちろん注文すればどんな本だって取り寄せられるが、それには一定の時間がかかる。それに比べて、街の大きな本屋さんに行けばその場で手にとって欲しい本を吟味できるし、そこにもないような本は、ネットで買えば次の日に届いたりする。しかしこういう場合「ネットで買うからこんな本屋いらない」と、あんまり思わないのはなぜだろう。

 実際、私もそうしている。よく売れるような雑誌やコミックス、有力な出版社の文庫本なんかは、遠くでは買わないで、わざと近所で買うようにしているのだが、なんとなく、そうすることが正義に思えるのである。もしも私がこの本屋で買い物をせず、その結果収益が悪化して店をたたむことになったとすると、なんだか嫌なのである。損得よりも、さびしいとか、悲しいとか、そういう情緒的な価値においてだが、ネットで買うからいいや、となかなか思えない。私は近所に本屋があって欲しい。当然ながら「知らないよだっておれ本なんか読まないし」というひとも世の中には一定割合いて、そういう人にはまったく同意してもらえないと思うが、こんなサイトをご覧のあなたである。私もそう思うという方は、多いのではないかと思うのだが、どうだろう。

 本の場合は全国どこで買ってもおおむね同じ値段、という事情があって、他の店とは多少異なるのだが、いちおう、実利的にも同じことはあらゆる商店について言える。遠い店への往復にはある程度コストがかかるからで、特に最近ガソリン価格が高騰しているので、なおさらそうなっている。たとえば自動車で五キロ離れたところへ往復するために必要なガソリンを1リットルとして、今なら約一六〇円である。近所で買うのに比べて買い物一回あたり一六〇円以上得するのでない限り、遠くまでものを買いに行くのは愚行である。というわけで、多少高くても、近所で買い物ができるという環境を維持することは長期的に見て自分の利益になるので、できれば自分の家から近い店で買い物をする、というのは、理にかなった行動と言えるだろう。

 ただ、本屋に関してはそれとも違う気がするのである。結局、対象に対する愛、かもしれない。いつまでも近所で本を買ってこられる環境であって欲しいので、近所の店を買って支えるのだ。

 そこでタスポである。首都圏では七月から、自動販売機で煙草を買う場合、このICカードを使うなどして成人であることを識別できなければ、買えなくなる。このカードをもらうには、顔写真などを送付して登録する必要があるらしい。カード以外にも運転免許証で認証する自販機もあるそうだが、大部分の自販機ではタスポなしで煙草は買えない。駅の改札で使うスイカ的なものであるが、スイカがなければ電車に乗れません、みたいな話だろうか。

 いろいろなニュース報道やコラムを読むにつけ、どうもこのタスポが、あんまり歓迎されていない。喫煙者の自由を制限するものだから当然だと思うが、たとえそうであれ、導入した地域で自販機による売り上げが大きく落ち込んだとか、コンビニで買うからいいやという意見だとか、そんなのばかりである。腹立ち紛れに書いた(ように見える)コラムも多い。

 私は思うのだが、こういう場合「みんなでタスポを申し込んで近所のタバコ屋さんを支えよう」みたいな運動をする人が、いてもいいと思うのだが、なぜないのか。煙草も、本と同じでどこで買っても、まあだいたい同じ値段だと思う。近所の自販機がなくなると不便になる。だったら、買って支えよう、という結論になってもいいと思うのだ。

 一つには、タスポが生身のタバコ屋さんを支えるものというより、自販機を支えるものであるのが、いけないのかもしれない。煙草を吸う人が自販機に対して抱いている感情は、たぶん私が酒類やジュースの自動販売機、あるいは駅の券売機に対して抱いている感情と同じようなものであると思われる。つまり、なんとも思っていないのであって、その背後に煙草を補充しこの自販機の売り上げで食べている人がいる、ということにはあんまり思い至らない。思ったところで、不動産収入や利子収入に近い、不労所得に思える。そう言われると、確かにそんな感じがするのである。

 本屋さんはそうはいかないのであって、レジ打ちはもちろん、本を補充したり返品したりハタキをかけたり、立ち読みを注意しないといけないのであって、また我々もそれを見ているので、そのへんがタバコ屋さんと違うところである。結果としては「本屋がなくなる」「自販機がなくなる」と同じであるのだが、そういえば、私も街角の公衆電話機がなくならないために、あえて公衆電話から電話をかけたりはしていない。公衆電話がなくなるとそれなりに困ることがあるが、つまり、自分が不便、ということに加えて、なにかプラスアルファが必要なのだろう。本屋は「本が好き」という気持ちだけで十分プラスアルファになっていると思うが、煙草を吸う人の煙草の愛し方は、どうやらこれに足りていない。部外者としての見方だが、みんな、実はそんなに煙草のことが好きではないのかもしれない。

 どうしたらいいだろう。こういう場合、やはり「この自販機で煙草を買うことでどういう人を支えているか」を自動販売機に明記するようにすればいいかもしれない。自動販売機を通じた、顔が見えない商売であることをあきらめないで、顔が見える自動販売機にすればいいのだ。ああ、このおばあちゃんが孫にあげるお小遣いになるのだなと思えば、煙草もうまくなるというものではないか。

 このシステムを導入した煙草の自動販売機はこうなる。タスポを使って認証し、煙草を買うと、あのタスポの窓のところに顔が出てくる。おばあちゃんが「いいお日和ですねえ」とかそういうことを言う。「ありがとうねえ」と頭を下げたりもする。「また来てねえ」みたいなことも言う。思わずまた買ってしまうのではないか。ぜひ、タスポを申し込もうという気がもりもりと湧いてくるのではないか。

 問題は、販売店のほうがそうした自販機に自分の顔写真など、個人情報を登録することに抵抗感があるだろう、ということなのだが、それは言ってはいけないようにも思う。タスポを手に入れるには、同じように喫煙者も個人情報を登録しているからである。まあそのなんだ。顔をあわせた商売だと思えば、個人情報もなにも、ないのではないか。どうも、書いていてもうまく行かなさそうな気がしてきたが、えーと、ではどうするかと言われても。知らないよだって私は煙草吸わないし。


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